ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東電バッシングについて

 4月2日の朝日新聞は「東電バッシング 過熱」と題する記事を載せ、さらに二人の有識者のコメントも添えています。
 こうした事態については、二人の有識者のうちの一人である九大の山口教授がその理由を示しています。
 「社会不安の根源が『原発事故』と明確であるため、怒りの矛先が東京電力に集中している」。
 まさにその通りだと思います。記事では東電の社員寮やPR施設の電力館、コールセンターに対して、いやがらせや脅迫が目立ち始めている事が報じられていました。特にネットですと匿名性が高い為に余計そうですし、役員の住所などがいろいろなサイトで掲載されているそうです。
 私は東電の一般の社員がこの非常時に精一杯頑張って真摯に対応している記事を見ていますし、彼らに対する非難や脅迫は卑怯な行為だと考えます。
 こういう時の基準は聖書にあります。
 「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)。
 自己中心から自分を正しいとして他人を裁く事は、主イエス・キリストが厳に戒められた事です。それは聖書で言う明確な罪であり、公平な神が究極的に裁かれます。復讐行為に及んだ人は、神が復讐されます。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる』」。
 にもかかわらず私が東電の歴代の社長会長など幹部たちを裁くのはなぜか。実はイエス・キリストご自身が特にそうした偽善の人々を非難されたからです。
 「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです」(マタイ23:27−28)。
 東電の偉い人たちは福島に原発を作り、安全だ安全だと吹聴し、日立などの原発設計者ら少数の人々の警告に耳を傾けず、内部の様々な不具合を隠蔽してきました。
 「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている」(エレミヤ6:14)。
 しかも彼ら自身は安全なところに居て、現地で危険な作業に従事している作業員らを顧みる事をしていません。
 「彼らは言うことは言うが、実行しないからです。また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません」(マタイ23:3−4)。
 これらは私に課された彼らへの伝道です。しかしあくまで裁きを神に委ねます。