日航機墜落後の意外な事実
「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです」(ローマ2:16)。
毎年8月になると、日航機123便が御巣鷹山に墜落した事を銘記し、亡くなった520名を追悼する催しが新聞記事に載る。
あの日1985年8月12日は、私の母が神奈川県の相武台病院に入院しており、翌日見舞った後、病院内のテレビの巨大なスクリーンに映し出された衝撃的映像に、目が釘付けになっていた。
後に新聞記事など詳しく読んで、報道された通りだなと信じていた。原因はこのジャンボ機の圧力隔壁がボーイング社の修理ミスで破損し、垂直尾翼を吹き飛ばし操縦不能になった為とされた。説得力があったように記憶する。また遺体のひどい損傷も、時速520キロの飛行機が山腹に激突したら、当然そうなるだろうと思っていた。4名の生存は奇跡だと考えた。自衛隊のヘリによる救出活動・捜索活動も、猛暑の中良くやったなという感じがした。
それに異を唱え、数冊の本に纏めたのは青山透子氏。元日本航空客室乗務員とあった。
今回図書館で『日航123便墜落‐遺物は真相を語る』を借りて読んだ。東大大学院博士課程を出た秀才である。勿論国語力抜群だろう。論証は鋭い。
ところが読みながら、流れが頭にすっと入って来なかった。繰り返しが多いような気がした。行きつ戻りつ試行錯誤を重ねて、やっと完成させたような感じだった。
しかし私には理由が分かった、というより推察出来た。青山氏は独自の観点から調査報告に疑問を示し、真相は別にあると提唱したのだが、無念にも亡くなった520名の事を偲び、そのままでは浮かばれない、事実を隠す人々を絶対許せない、という意思表示を何度もしている。
この許せないという気持ちが心を占めすぎると、どうしても文章に揺らぎが生じて来て、体系的な形になれなかったのではないか?と推定したのだ。
それはとにかく、「遺物は真相を語る」は、私たちが抱いていたものとは全く異なっていた。
まず映像ではシャープに見えたジャンボ機の圧力隔壁だが、捜査が始まる前に先駆けした自衛隊員が、何とエンジンカッターでバラバラに切り重ねてしまったそうだ。これで詳細なところが分からなくなった。
次に遺体の事だが、損傷があまりに凄く、炭化した状態のものが多かったそうだが、他の飛行機事故で遺体を見て来た医師らによると、これほどひどいものは見た事がないとの事だった。ジェット燃料に因るものだとすれば、そういう状態にならないという。
ここでは青山氏の集めた化学分析の資料がモノを言う。つまりジェット燃料には絶対含まれていないガソリンや硫黄が、機体から多く検出されたという。硫黄は今は別にしても、このガソリンから抽出される芳香族炭化水素がベンゼンである。ジェット燃料のケロシンなどは炭素が直鎖上に繋がっており、六角形のベンゼン環は含まれない。すると青山氏は近くの自衛隊部隊が所有していた火炎放射器のようなものが考えられるという。本来なら機体から見つかる筈の何かの証拠を隠滅する目的で使われたのだと。それは飛行機の遺物の場合だが、遺体の状況からも、ナパーム弾で焼かれた遺体に酷似しているとある。遺体はまずジェット燃料から、次に火炎放射器などによる「二度焼き」が生じたと、医師たちもそれを裏付けているそうだ。
すると真相は一体どうなるのか。青山氏はその事故の2日前、防衛庁は最先端地対空ミサイルの誘導飛行を実施し成功したと発表した。それは低空で山腹を縫うように飛ぶ。
それと同じようなものを、実際村民やその子どもたちが目撃したそうだ。赤またはオレンジ色を後ろに尾を引く飛行物体を(それは無人標的機らしい)。
おそらくそれはミサイルシステムに組み込まれた無人標的機であり、誤ってジャンボ機の垂直尾翼を吹き飛ばし、墜落に至らせたとの推測である。だから徹底して証拠隠滅を図らなければならなかった。
私はこれを読了して真相の一部を垣間見た。今後の青山氏の究明に期待を寄せる。しかしあまりに多く符合すると、まさかという人も同じように現れ、著者を攻撃する。
けれども真実は人には隠されても、神は上から全て見てご存じである。それを抹殺する者は、最後には神が裁く。