ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東日本大震災から9年‐あれこれ思う事

「ただ、あなたはよく気をつけ、十分に用心し、あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。そしてそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい」(申命4:9)。

東日本大震災から9年が経過した。

地震津波原発事故と、トリプルの被害に遭った福島浜通りの方々の証言を聴くと、その後の長い避難生活も含め、私だったらこんな過酷な災害に耐えられただろうかという自問が続く。

とりわけ原発事故は、東京圏に居た私にとっては驚愕の的であり、実際に自分の目で見、耳で聴かないと、被災した方々の心に一歩も近づけないと思った。だから4年と2か月前福島に引っ越して来て、現状を視察し続けている。そして考えている。

原発事故から少し経過して、小出裕章氏の『騙されたあなたにも責任がある』を読んだ。小出氏は原子力を廃絶させたいという思いから、反対の声を上げ続けて来た。しかし事故を止められなかった。それをお詫びし、阻止出来なかった自分にも責任があると言う。自己否定の論理だ。学生時代における私の自分中心・自己肯定の考え方を一変させてくれた論理である。でも小出氏は騙されたから仕方がないでは済まないとも言う。「騙されたなら騙されたことの意味を考え、責任を取る、ということをみなさんに考えて欲しい」と。

私は原子力も小出氏の事も、事故が起こる前は全く知らなかった。いや知らされていなかったと言える。3月初めて帰還困難区域の一部が解除になった双葉町の駅方向に向かい、かつて「原子力明るい未来のエネルギー」という大看板があった。電気を利用するだけの私は、一旦事故が起こればという複眼思考が無かったから、原子力推進に加担していたのである。

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その双葉町の一部、解除となったから、その地域の人は戻れる、ではない。まだ戻れないのだ。双葉駅、大野駅、夜の森駅も含め、常磐線を通すだけの除染と解除である。広大な中野地区復興産業拠点内に、「東日本大震災原子力災害伝承館」を作り、五輪までに間に合わせようとしているが、そんなものが出来ても、人はそこに住めない。典型的な災害便乗型資本主義施設である。イノベーション・コーストなどという、わけの分からないカタカナ語で人を煙に巻き、経産省など中央の一部だけが益を得る。

私の住むいわき市は、双葉町から避難して来た方々の復興公営住宅、特養ホーム、 双葉町役場いわき事務所などがあり、9年を経て戻ろうと思う人はそうは居ない。その勿来町酒井団地で人に出会う事は滅多にないが、会えば多少は会話が出来る。しかしその苦労を偲ぶと、こちらとしては申し訳ないとつぶやくしかない。無知故の苦い涙である。勿論双葉町の住民は加害者でもあり、被害者でもあるから、その複雑な心の思いを忖度すると、互いに口が重くなってしまうのだ。目に見える駅や施設が出来ても、復興どころではない。まして心の復興などと言おうものなら、何年経っても無理だ。現場に足を運べば、復興などというまやかしが透けて見える。

聖書の神は「わたしが悪しき者に『悪しき者よ、あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もし、あなたがその悪しき者に、その道から離れるように警告しないなら、その悪しき者は自分の咎のゆえに死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う」(エゼキエル33:8)と厳しい。

今度の新型コロナウイルス騒動でもそうだが、現政権は何かが発覚すれば、それに嘘の漆喰で上塗りをしてしまう。原発でも五輪でもウイルス問題でも、悪しき政権に「その道から離れるように警告」し続けるしかない。あるいは執拗な祈りか。