槌田セミ「徹底解析福島原発事故」に出席して
「正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ」(箴言10:21)。
2013年8月30日の国会周辺デモには、どうしても急な用事があって行けなかったので、そのデモで配布されているたんぽぽ舎のチラシから、8月31日に槌田敦氏の「徹底解析福島原発事故ー福島事故の旧英なくして今後の原発方針はない(討論会)」を聞く為、たんぽぽ舎を訪れました。
地下鉄半蔵門線神保町駅からすぐです。左写真中央のビル。
松戸から30分ほどすぐ到着し、係兼司会の方に次いで2番目の到着でした。6時開会で15名ほど、遅刻も含め20数名の出席者でした。
6時から槌田敦先生の基調報告と自由な討論会が始まりました。
この槌田氏ですが、過去ログで触れました(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/20130131/1359627537)。きっかけはブログ仲間のiireiさんが教えて下さいました。科学者の父親槌田龍太郎氏の息子さんで長男の敦氏と、次男の劭(たかし)氏という優れた学者一家です。そのうちの敦氏についてはネットのユーチューブでも講義を聞く事が出来ます。
京大の小出助教とはまた少し違った観点から原発の事を真摯に考えておられます。「憧れの」槌田氏にお会い出来て、大感激!
基調報告のレジュメはB4用紙2枚4ページにわたります。まず原発1号機〜4号機に共通する事項が10ありました。特に槌田氏が注目したのが、事故から8日目まで温度が全く測定出来なかった事で、これが最も基本的な欠陥だと始終指摘しておられました。勿論後から出た実測データは東電の改ざんでした。2ページ以後1〜3号機までの現場での実測データと東電改ざんデータが比較対照されていました(*この読み取りは私には難解でした)。次は海水注入です。これは燃料の周りに塩が析出して燃料冷却を阻害したとの事で、槌田氏は分かりやすく解説して下さいました。これには故吉田所長も責任を免れないとの事でした。そして最後にこれが一番緊急を要する事ですが、槌田氏が事故直後からずっと言い続けておられたことです。それは現在の汚染水流出抑制の為にも要となった事ですが、まず原子炉建屋に「液体窒素」を注入して冷却するという事でした。これは今では建屋の中の格納容器でも可能のようですが、事故直後は脆性破壊の危険性もあり、無理だっただろうと言っておられました。建屋への注入を事故直後から行っていれば、高濃度汚染水300トンの漏出も無かっただろうと言われました。そしてさらに一歩踏み込み、破損のひどい原子炉格納容器の問題解決の為、第二の格納容器を作るべきだという主張もされました。
この提案マスコミも取り上げず、当局への抗議文も、反原発のレッテルを貼られて一切無視され、槌田氏の孤立無援な戦いとなっています。そこでたまらず後ろの席にいた女性の方が、その運動をもっと広げましょうと言っていました。
槌田氏の説明内容は相当高度なもので、出席していた複数の人々(かなりの技術者と思われます)が、専門的な事を質問していました。ただこの会議、司会者が1人7分とあるにも関わらず、執拗に食い下がっていた方がおり、他の人々の発言を封じる形になってしまいました。このあたり討論するのが下手な日本人の特性が露呈してしまった感じです。
事故当時の東電現場の作業員は何をしていたのか、ベントは適切だったのか、など過去の細かい事を根掘り葉掘り質問していましたが、その態度が良くありませんでした。温厚な槌田氏は私にも分かるよう、諄々と語っておられしたが、その大切な説明を途中で遮って、自説を展開するので、論点がボケてしまいました。これは真に失礼なやり方で、いい歳してまさに自己中心的、大いに不快な気持ちになりました。
この討論会最後にやっと発言の機会を得ましたので、今レベル3の汚染水をどうすべきか、1〜4号機で現在もどれほど放射能が出て、日本を汚染しているのか尋ねて見ました。ご回答は汚染元の原子炉とその建屋を液体窒素で早急に封印しなければならない、どこからどれ位漏れているのか全く分からないのだからという事でした。海への流出阻止の為に、2重3重の堀を掘ったりとかあり得ると思うけれど、もはや太平洋の漁業は諦めなくてはならないと言っておられました。その事だけでも伺えて良かったです!福島は絶対忘れてはならない、もっと勉強を重ねる必要がある事を実感しました。デモという行動も然りです。