ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

世界最大級の水素製造工場

「はじめに神が天と地を創造された。地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた」(創世1:1-2)。

ペテロ第二3:10に「ストイケイア」というギリシャ語が出て来る。古代ギリシャの数学者ユークリッドの代表的な著作の題で、「原論」と訳されている。それはまた聖書においては「元素」とも訳される言葉である。諸元素の創造者である神は、はじめに水素と酸素を用いて化学反応を起こさせ、水を生成させられた。

携帯でスマートニュースの広告などを見ると、新車の宣伝がいろいろ載っている。その中の一つが「水素で発電して走る新型MIRAI」である。2014年に初めて発売され、昨年末にその第二世代のMIRAIが出た為、盛んに「喧伝」されるようになった。

しかしこのMIRAIはネットによると、700万円以上と高額である。普通のサラリーマンが簡単に買えるものではない。僕はそれがネックになって、さっぱり売れないのだろうと思っていた。

しかし主な原因は、その燃料を補填するステーションがほとんど普及していないという事にあるそうだ。ガソリンと同じ感覚で、僅か3分で補填出来、650キロも走るという利点があるのに。

実はこの水素燃料電池車は、東京五輪で活用する事が決まっていた。普通自動車だけでなく、バスも数百台作り、新国立競技場とか選手村の間を縦横に走らせ、その存在を誇示する。また地方にあっては水素を聖火リレーのトーチの燃料としても活用する事になっていた。その前提となる世界最大級の水素製造施設が、昨年福島県浪江町に出来た。

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急峻な海辺の崖上にある雑木林を切り開いて造られた。視察の為車で通った頃は、大規模な工事中で柵もあり、こんな広大な施設になるとは思いもしなかった。とにかく浪江の自然が壊され、イノベーションコースト構想のもとで造られた。開所式には安倍元総理も出席していた。

しかしコロナ禍の中で、それどころではなくなった。五輪開催さえ危ぶまれている。今はそのオリンピック精神を形骸化させ、人のいのちを軽視し、ただ商業的利益の為に、恥を全世界に曝している守旧派だけが暗躍している。

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この施設、五輪が中止になると出番が無くなる。鳴りを潜めて動向を伺っている。

その後北上して南相馬市にある植樹祭跡地も見たが、そこは管理もされていないようで、荒れ果てていた。何という好対照。2018年当時の天皇皇后も出席しての最大なイベントだったが。

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休校扱いの県立高校2校

「七年目は地の全き休みのための安息、【主】の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の刈り込みをしたりしてはならない」(レビ25:4)

前回小中7校が廃校と間違って書いてしまったが、それはうっかりミスで5校が正解、あと2校は休校扱いの県立浪江高校と富岡高校の事だった。

そこも視察して来たので、画像保存という趣旨で書いておく。

国道6号を北上し、浪江町に入るとほどなく知命寺交差点にぶつかる。そこを左折すれば、福島市に至る国道114号が西に長く伸びる。最近この交差点に「道の駅なみえ」が出来たので、信号による渋滞が生じている。

f:id:hatehei666:20200817121050j:plainその渋滞が途切れる頃右折すると、南相馬市に至る県道120号が北へ向かう。それでそこを北上すると、東西に流れる請戸川の土手を通過する事になる。渡ってすぐ左折し西に向かうと、県立浪江高校が見えて来る。

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人の気配は全く無く、錆びた赤い柵のある校門が閉じられたままであった。

ウイキによれば1927年女子高として発足、1986年男女共学校になった。

2011年の東日本大震災で避難を余儀なくされ、休校となった。

2015年広野町福島県ふたば未来学園中学校・高等学校が開校すると、生徒の募集を停止した。こうして2016年に創立90周年を迎えたこの高校は役目を終え、2017年に休校となった。安息の時に入ったのではなく、再開されないという事である。やがては解体されるのだろう。

②県立富岡高校。浪江高校と比較すれば、設立は1950年とかなり新しい。この富岡町にある高校は、以前探していて見つからなかったので、再度挑戦した。富岡駅から遠くないし、休校でなければ途中に看板があってもおかしくない。かなり急な坂を上って行くと、頂上にそれは存在する。誰も教えてくれる人がいないので、すぐそこだと言っても、なかなか分からない。

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浪江高校と違って、柵がないので入ってゆける。このぐるりは散歩の人のコース―になっているようだ。

ウイキを見ると、この高校には国際・スポーツ科というのがあって、スポーツが盛んだった事が分かる。校舎中央よりやや左から廊下を覗き込むと、表彰状や立派な楯が多く飾ってあるのが見えた。

f:id:hatehei666:20201120101738j:plainこの校舎の裏は広いグラウンドになっている。サッカーなどの練習が行われていたのだろう。

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上記2校に共通しているのは、2017年に募集を止めて休校になった事と、生徒たちのかなりが広野町福島県ふたば未来学園中学校・高等学校に吸収された事である。そしてこの中高一貫校は、文科省から官僚特有のカタカナ語造語による「スーパー・グローバル・ハイスクール」に指定された。理念としては原子力災害からの復興を果たすグローバルリーダーの育成とあった。

国の「鳴り物入り」で新設されたこの中高一貫校の陰で、地元の高校が2つ消えた。



解体が決まった浪江町の小中5校

 「その日、その堅固な町々は、森の中の見捨てられた場所、かつてイスラエル人によって見捨てられた山の頂のようになって、荒れ果てる」(イザヤ17:9)。

東日本大震災からまもなく10年になろうとしているが、それまでに休校になっていた小中高は、これからどうなるのだろうか。

震災前浪江では町立小・中9校あったが、そのうち7校が昨年7月廃校と決まった。理由は長かった帰還困難区域の解除後も生徒が戻らないからである。解除と言っても全町の2割ほどであり、いまだ放射能がかなり高い所も多くある事が、避難先からの

帰還を逡巡させている。解除地域には高齢者にとって自然豊かな所は多くある。教会の友人宅を訪問してもその事を感じる。

それで7校の解体工事は今年春には全て終わってしまう予定なので、残らず視察して来た。

 

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①苅野小学校。行ったのは昨年11月。しかし再開を予測してか、よく整えられており、僕には一番印象的だった。つつじやイチョウなどの木々の鮮烈な色彩が記憶に残る。

②浪江中学校。ここもツツジが鮮やかだった。ダンプカーが1台玄関前に止まっていて、校舎内部からモノを運び出す音だけが虚しく響いていた。

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③浪江小学校。常磐線と国道6号との間、権現堂にあるこの小学校は、かつての市街地で校舎はやや小さく、左右に茶色の建物があるのが特徴的だ。

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④幾世橋小学校。東日本大震災津波被害がひどかった請戸地区を流れる請戸川の北側、なだらかな段丘を上って行くとそこにある。そこのグラウンドは避難解除後、再び学校が始まると思って、地区の人々がきれいに花壇を作っていた。まさか廃校とは思わなかっただろう。地形的に南下がりの土地なので、グラウンドには遺跡があったはず。

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⑤大堀小学校。避難指示が解除されたとはいえ、周囲はまだ帰還困難で、有名な大堀相馬焼の窯元も全て避難中である。この校舎のあるところも、これまで結構整備されてきたらしく、グラウンドから見えるその光景は美しい。

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これらの学校には解体番号がついていて、やがて全て無くなる。撮った写真はいわばその死んで行く校舎に対する鎮魂曲だ。

 

 

 

 

内田樹の農業論と福島

「私が昼も夜も眠らずに知恵を知り、地上で行われる人の営みを見ようと心に決めたとき、すべては神のみわざであることが分かった。人は日の下で行われるみわざを見極めることはできない。人は労苦して探し求めても、見出すことはない。知恵のある者が知っていると思っても、見極めることはできない」(伝道8:16-17)。

福島第一原発事故からもうすぐ10年になろうとしている。沿岸部の農業が10年以上前どうであったか僕は知らない。

福島県に引っ越して来てから、勿来~相馬市までの耕作地はかなり見て来たが、どれほど復興したのかは分からない。

2月1日の毎日新聞は各地の状況を取材しながら、福島がいまだ「復興途上」にあり、再生の兆しを見せているのか、と疑問を投げかけている。

その記事の中で目立つのが、沿岸部への県外企業の進出である。

最初に出て来たのは、楢葉町前原地区の白ハト食品工業大阪府守口市)だ。楢葉の中央付近を東西に悠然と流れる木戸川の河口付近の南にある。2018年1月にしろはとファームの支店として開設され、サツマイモの栽培を開始した。昨年10月に日本最大規模と言われるサツマイモ貯蔵庫が完成している。

楢葉町が誘致したが、理由の一つは、天候不順による不作の懸念から、大規模・安定生産が出来る企業を求めたからである。町長は立派な貯蔵庫を造ったのだから、見合う形に持っていかねばならないと強調したそうだ。

次は浪江町棚塩地区の舞台ファームである。浪江町国道6号から見て海側は、経済産業省主導のイノベーション・コースト構想により、北部の棚塩地区に大規模な産業団地が出来た。その中に福島水素エネルギー研究フィールドとかロボットテストフィールドが既に存在している。

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 南部には、隣接する双葉町に跨る国と福島県主導の福島県復興祈念公園が整備されつつある。津波時に生徒を全員無事避難させた請戸小もその一角にある。請戸小からその写真を撮ろうとしても、至る所2メートルを超える柵に邪魔され、全く様子が分からない。

一方仙台を拠点とする農業生産法人舞台ファーム株式会社は、その沿岸部に割り込み、米や野菜の生産、カット野菜などを手掛けている。ドローンによる施肥、ロボットトラクターによる収穫など、最新技術を採択して、さらなる生産に挑戦している。

西の沿岸部を経産省や県外の企業に占められた地元の小規模農家は、東部で農業を営もうにも、放射能がいまだ高く帰還困難な地域に行く手を遮られている。どう対処すべきだろうか。

最近図書館から内田樹著『日本習合論』という本を借りて読んだ。内田氏はいつも本質的で鋭い指摘をしてくれる。

彼によれば、「農地での耕作が成り立つためには、山や森や川や海がきちんと管理されていなければならない‥」「営利企業が農業に参入してきた場合は、彼らが自然環境を保護し、自然の再生産力を持続させるためのコストを負担するでしょうか?僕は絶対にしないと思います」。そして儲からない事が分かった企業は、その事業から「あっさり撤退する」「あとはもう農業ができないまでに荒廃した自然環境と、耕すべき自分の土地も、伝統的な農業技術も失った人々が残される」。

それは浪江の農業法人だけでなく、イノベーション・コーストに誘われて進出した技術系企業にも言えるだろう。写真上の世界最大級水素製造工場は、地元福島とはほとんど接点がない。5年間見て来たが、この棚塩地区の高台は、企業が豊かな森を破壊し、巨大なハコモノを作った。果たしてどこまで続くだろう。

 

心配おかけしています

「ロトは、自分のためにヨルダンの低地全体を選んだ。そしてロトは東へ移動した。こうして彼らは互いに別れた」(創世13:11)。

前のブログから相当時間が経ってしまった。昨年9月から不整脈と排尿障害が突然生じ、かかりつけ医からあちこちのクリニックや病院を紹介され、ずっと振り回されていたからだ。そしてこの2月2日にやっと主原因が突き止められたように思う。

断定出来ないのは症状が一向に快方に向かわないからだ。それは隠れた難病かもしれない。

飲酒以外の酩酊様歩行で検索してみると、小脳脊髄変性症というのが見つかると思う。MRI像では確かに小脳が萎縮していると言われた。それがれっきとした症状として現れたら難病指定となる。しかし脳神経内科医と対峙している僕は、まだ立ったり座ったり出来る。もしその難病ならば、とっくに歩く事が出来なくなり、車椅子の生活になるという。それでずっと経過見だった。

ところが昨年9月台風時の特有の低気圧で、酩酊様歩行はますますひどくなり、首の後ろが猛烈に痛くなり、ひどい不整脈が出て来るようになった。徐脈・頻脈入り混じった乱脈だった。24時間心電図は明らかに頻脈による心房細動を捉えていたし、紹介を受けて行ったクリニックでも、心エコーなどの結果からそう診断された。

さらに9月それまでの夜間頻尿が一歩進んで尿漏れを起こすようになった。それはショックで、夜間よく眠れなくなったし、水分は随時摂らなければならないのに、夕方からピタッと止めるようになった。

それも紹介を受けて或る病院の泌尿器科に行った。すると直ちに原因が分かった。前立腺肥大による、膀胱内尿滞留が通常の3倍はあるとの事だった。直ちに手術を勧められた。

問題はなぜこの心房細動によるめまいやたちくらみ、排尿障害が同時期に生じたのかという事だった。基本の小脳変性の問題と関連付けてみると、小脳変性症と共に、多系統萎縮症という、これまた難病の一つが浮かび上がった。それを脳神経内科で訴え、入院検査の予定だったのが、上述の別の検査で延び延びになり、やっと今年の2月2日、待ちに待った再度のMRI撮影結果の結果が知らされる日が来た。果たしてそうした難病なのかという診断がされたのである。
結果はMRIで顕著にみられる脳橋のマークが見られず、簡単なバランスをとる検査でも、逆に改善が見られるという、思いがけない結果となった。

すると残るは糖尿病合併症としての神経症の進行ではないかという推察だけになったのである。しかし酩酊様歩行は終息する気配がない。室外でも室内でも転倒・骨折しないよう、四六時中バランスをとる事に注意しているため、1日が終わるとぐたっとするようになった。今後は一段と糖尿病合併症に気を付けなければならない。腎症もかなり進んでいる。

その為福島の外れ茨城県と境を接する勿来で、一人でいるのは危ぶまれるようになった。僕のところは軽自動車が入れず、道路や土地・家屋の拡張とか改築が不可能な所だった。もし将来車椅子になるとすれば、それで家の中に入るのは不可能だった。

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そんな思いでいた時、通う教会の或る姉妹の遺志で建築中だったケアハウス「エリムの泉」が完成した。昨秋であった。そこの牧師がしばしばここに入居しないかと勧めていたのである。2階建てのこの家は4部屋あり、65歳以上の一応自立出来る教会員が入れる。*画像の正面2階建の建物で、隠れている左の隅の204号。

僕は意を決してこの1月17日、5年前の教会通いからちょうど5年目、奇しくも同じ日曜日に引っ越しを断行した。半壊同様だった勿来の我が家から、真新しく、空調も床暖房もあり、風呂も自動で、暖房便座も備わっているこの家に移住した。キッチンのIHと格闘しながらレシピを考え、毎日まるでパラダイスのような気分を味わっている。セキュリティを考え、2階まではエレベータ―を使うので、車椅子でも安全だ。神の導きと確信する。

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という事で空白の数か月だった。気圧の谷に入ると通過するまで執筆出来ない。後どれほど執筆出来るか分からないが、皆様が心配して下さっている事に深く感謝する。

宥めの日

「特にこの第七の月の十日は宥めの日であり、あなたがたのために聖なる会合を開く。あなたがたは自らを戒め、食物のささげ物を【主】に献げなければならない。その日のうちは、いかなる仕事もしてはならない。その日が宥めの日であり、あなたがたの神、【主】の前であなたがたのために宥めがなされるからである」(レビ23:27-28)。

イスラエルに関する本を読んでいると本当に複雑で、一つのテーマを取り上げても大きな広がりを見せる。

上のレビ記23:27に「宥めの日」と訳された言葉がある。ヘブル語原文は「ヨーム・ハッ・キップリーム」、少し前までの新改訳は「贖罪の日」と訳していた。一番古い文語訳も「贖罪の日」である。

ヨームは「日」という意味だが、ハという定冠詞の後にくるキップリームは、キップールの複数形で、「贖い」という意味である。この漢字が難しい。漢和辞典ではそのなりたちは「財物を交換して戻すこと」とある。従って贖罪とは財物や過去の功労によって罪を免れることという説明があった。

旧約聖書では贖いは「神と人との間の交わりや調和の関係を回復させる行為」である。その条件として人間の側は、いけにえ(牛や羊など)を携えて来てそれを殺し、祭司によって祭壇にその血をふりかけてもらう事が必須である。その儀式で神によるその人の罪の赦しが成立する。人間は罪深く何度も罪を犯すから、その都度いけにえの動物を携えて来る必要があった。

この言葉は旧約聖書ギリシャ七十人訳になった頃、「宥め」というニュアンスの言葉になった。新約のギリシャ語もその意味合いがある。だから冒頭の赤字聖書個所は、新改訳の訳語として、初めて「宥め」という言葉を当てた。意味は似たようなもので、神は人が携えて来たいけにえの血を見て、人の罪を赦し、その怒りを宥められたという事である。

新約聖書では救い主イエス・キリスト神と人との間の仲介者となり、十字架の血によって神と人との和解をもたらされた。「また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所(*十字架の事)に入り、永遠の贖いを成し遂げられました」(へブル9:12)。

だから今私たち信者はその信仰だけで、主を礼拝する為教会に集うが、特別な儀式は必要ない(イエス・キリストの裂かれた身体、流された血を記念する聖さん式が不定期に行われ,教会加入の為の儀式としてバプテスマがあるだけ)。

しかし現在のイスラエルでは、動物のいけにえは無くなったにせよ、引き続き7月10日の宥めの日(定冠詞を除き、単数形のヨーム・キップールで通用する)を守り、その日は旧約の律法にあるように聖なる会合を開き、「その日のうちは、いかなる仕事もしてはならない」(レビ23:28)という事を遵守している。聖書に直接書かれていないが、「断食」もその日に行う。

それでこの「いかなる仕事もしてはならない」という規定から、1973年エジプトとシリアは、そのすきを突いてイスラエルに対して奇襲攻撃をした。「ヨーム・キップール戦争」の勃発である。この戦争でイスラエルゴラン高原の一部やシナイ半島西部を失った。

でもその後がすごい。すぐさまイスラエル軍は猛反撃し、失地を回復し、さらに一歩踏み出すところまで行った。半沢直樹のドラマではないけれども「倍返し」の勢いだったと想像する。

それこそ「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯を。人に傷を負わせたのと同じように、自分もそうされなければならない」(レビ24:20)という、それ相応の埋め合わせを越えた復讐の論理である。

ここが「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです(マタイ5:9)と言われたイエス・キリストとの大きな違いである。隣人とは同胞イスラエル人の事で後は全て異邦人とし、今もパレスチナに住むアラブ人などを迫害するイスラエルが、人々から嫌悪される理由である。そのイスラエルを支援する米国キリスト教右派の動きも間違っている。ましてトランプの中東和平案など論外である。

 

民族とネイション

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです」(エペソ2:19)。

*同じ国の民と訳された言葉は、スムポリテース=英語のfellow-citizen、日本語なら神の国の同胞、同じ市民くらいか。過去にない言葉で、ここに一度だけ、しかも霊的な意味で出て来る。キリストの支配される新天新地で実際成就する。人間堕落前のエデンの園を想定すると分かりやすい。敵対関係のない真に平和な天国人。

 

図書館で塩川伸明著『民族とネイション‐ナショナリズムという難問』という本を借りて読んだ。
民族とネイションはいつも気になっている言葉だ。聖書に出て来るが、現在全世界に散って住んでいる人々の起源は、ノアの洪水後に遡る。
「以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである」(創世十ノ三十二)。
ここで日本語訳の「国民」と訳された言葉が、ヘブル語原語でゴーイー、複数形でゴーイームである。英訳聖書を見ると一致してNATIONである。しかしこの英語の日本語訳は「国、国民、民族‥」と多様である。最新の邦訳聖書で「民族」を検索してみると、原語はヘブル語アムで、英訳はPEOPLEである。このPEOPLEはアムの英訳として圧倒的に多く、邦訳の民族は旧新約合わせて51ヶ所だけ。さらに新約聖書にはギリシャ語でエスノスという言葉が入る。対応する英訳聖書の旧約はNATIONだが、新約のエスノスはNATIONの他、GENTILE(=異邦人)も入って来る。邦訳の新約聖書で「民族」は上記51ヶ所から旧約の分を差し引いて14ヶ所。英訳のエスノスと重なるところ、そうでないところがある。邦訳も90ヶ所以上「異邦人」という訳語があてられている。これだけを取り上げても、言葉の混乱が生じて来る。一筋縄では行かない。原語は不変にしても、英訳・邦訳とも訳者の価値観が入る。例えばエスノスは非ユダヤ人、異邦人、さらにはダーウイン主義者が新しく作った差別用語RACE(=人種)という意味合いも入って来る。

そこで塩川氏は民族やネイションと共に、エスノス由来の英単語エスニシティを加えている。民族とネイションを区別するにあたってカギとなる言葉である。民族性・民族集団・民族意識などと訳されている。エスニックのほうが良く出て来るが、これも名詞で民族集団の一員などと定義されている。塩川氏はエスニックを「‥血縁ないし先祖・言語宗教・生活習慣・文化などに関して、『われわれは○○を共有する仲間だ』という意識‥が広まっている集団を指す、と考えることにする」と言っている。
従って上記ネイションにエスニックな意味合いが色濃く含まれている場合には「民族」、ネイションがエスニックと切り離して捉えられている場合に「国民」とする、という図式を提示している。絶対的ではない。そして日本語の「民族」はエスニシティと比較的近い意味合いだが、英語のネイションはエスニシティとは明瞭に異なるとも言っている。本当に難問である。


私が意識して考えていたのは、ユダヤ人が民族なのかどうかという事だった。
聖書の流れから見ると、洪水後のセムの家系にテラがいて、ユーフラテス川の向かい側に住んでいた。テラの息子にアブラムがいて、彼は父テラの家から離れ、主の導きで約束の地カナンに入った。故に彼は川向うからのという意味のイブリ人=へブル人であった。けれども創世一七ノ五を見ると、「あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民(*アム=民族)の父とするからである」とある。諸国民の父としてのアブラハムの誕生である。そのアブラハムからイサクが生まれ、イサクからヤコブが生まれる。ヤコブは主から「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ」と宣言される。このヤコブはエジプトに下るが、彼らの子孫は「イスラエルの民(*アム=民族)」と呼ばれた。そこから出エジプトを果たし、約束地に入ろうとする民に対して、主は「あなたは、あなたの神、【主】の聖なる民だからである。あなたの神、【主】は地の面のあらゆる民(*アム=民族)の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた」(申命七ノ六)と言われた。
エスニックとしてのイスラエル民族の誕生はこのあたりからではないかと思う。
しかしイスラエルは神に背き、神政を否定して「どうか今、ほかのすべての国民(*ゴーイー)のように、私たちをさばく王を立ててください」と預言者サムエルに懇願する。それで初代イスラエルの王サウルが立てられた。イスラエル民族を主体とする国民国家の誕生と言える。
ところがこの国家は後に分裂し、最後にはバビロン捕囚で国を追われた。生活習慣・文化などは、外国の地でもはや従来通りに保つ事が出来なくなった。
その時代に書かれたエズラ書はアラム語で「イェフーダイー」、エステル書ではヘブル語で「イェフーディー」と、突然イスラエル人の名が消えて「ユダヤ」になった。
しかし紀元七十年ローマ軍によるエルサレム滅亡と、世界各地へのユダヤ人の離散により、主の約束された土地からユダヤの名は消えた。そこはパレスチナとなった。
千九百四十八年エルサレムの象徴シオンに帰還しようとする運動から、イスラエル国家が新たに誕生した。「シオニズムユダヤ人の民族国家をパレスチナに樹立することを目指した運動」という説明が百科事典にある。
それはそうかもしれない。けれども設立された国は、ユダヤ人だけ住んでいるわけではない。2割を占めるアラブ人も含めた多民族国家である。
塩川氏は「イスラエル国家はこれ(*ヘブライ語)を正式に公用語とし、公教育を通し普及させることで『国民をつくりだした』と言っている。実際にはアラビア語公用語であり、非公用語としてのロシア語やイディッシュ語、ドイツ語等々も使用されている。
宗教もユダヤ教イスラム教、キリスト教イスラム教の流れを汲むドゥルーズ教など多様である。
だから現代イスラエルエスニックとは言えない。ネイション=国民である。イスラエル民族の為の国家であるが、また「イスラエル国ユダヤ人移民および離散民の集合のために開放され、そのすべての住民の利益のために国家の発展を促進し、イスラエルの諸預言者によって予言された自由、正義、および平和に基づき、宗教、人種、あるいは性にかかわらずすべての住民の社会的、政治的諸権利の完全な平等を保証し、すべての宗教の聖地を保護し、国際連合憲章の原則に忠実でありつづける」と宣言された通り、民主国家でもある。
現代イスラエルの歴史を見ると、イスラエル民族の為の国家が前面に出て、アラブ民族などを圧迫している。アラブとの闘いが絶えないのは、イスラム教の「目には目を」という復讐の論理を、ユダヤ教徒も世俗のユダヤ人も引き継いでいるからである。

だからイエス・キリストは「『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:43-44)と言われた。ユダヤの偽善的な律法主義者・パリサイ人への痛烈な非難だった。

その成就はキリストの再臨で実現すると考える。その時ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです」(ガラテヤ三ノ二十八)とあるみ言葉は成就する。地上は神の家族、天国の同じ市民だけになる。

塩川伸明氏は難問を良く纏めてくれた。私はさらに混乱を広めている。議論の叩き台として用いられたらと思っている。