ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

声かけというケアをして来たお年寄りの死

 2月13日の早朝、ほぼ7年間声かけというケアをして来たお年よりが病院で呼吸不全の為亡くなられました。
 声かけというのは、その方が施設入居前後に脳梗塞を起こされ、左手足の麻痺と言葉が話せないという状態でありながらも、脳の前頭葉の機能が残っている為、こちらから一方的に声をかける事によって活発化させ、認知症を防ぐという形のケアです。
 これはかなり難しい技術だと思いますが、大切であると考えます。
 というのは、その方が入居しておられた有料老人ホームでは、ヘルパーさんや看護師さんが介護の法に従い記録や身体ケアに忙殺され、肝心の心のふれあいという機会が極端に少なく、まして若いヘルパーさんは戦前の知識が全くといって良い程無い為、簡単な挨拶だけしか出来ず、あとの会話が途切れてしまうからです。
 お年寄り一人一人に青春の時があり、その後の生活があり、そうした思い出を大切に心の奥底に蓄えながら余生を介護の施設で過ごされるわけですから、介護を志した若いヘルパーさんたちは、基本的に「あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」(レビ19:32)という姿勢がなければなりません。
 でも悲しい事にそうした事が出来ない為、一方的な受身でしか観られないテレビの前に座らされ、そのまま放置されていれば、まず足から弱り、次に頭を使う事がなくなり、あっという間に認知症に進んでしまいます。そして転倒骨折ともなれば、ベッドに釘付け、親戚の方がいなかったり、いても来られなかったりという状態では、一人寂しくその一生を終えなければなりません。
 ところが一日の重労働で体力を消耗しているヘルパーさんたちは、認知症になられた方の対処の仕方を本や講演会などで学ぶ機会もありません。ですからそうした利用者さんへは怒声や、心の奥に潜むいじめという罪深いものを口に出し、利用者さんは返す言葉もなくうなだれてしまいます。軽い認知症の方のそうした姿を私は頻繁に目撃しました。
 これはその方の「生活の質」(*良くクオリティ・オブ・ライフと英語で呼ばれています)を考えた時、大問題です。
 私と亡くなった母を診てくれたドクターはそのあたりを熟知しておられ、父親のそうした死に様を見たくない、最後まで親孝行したいという事で、私を派遣して下さったのです。
 その時はちょうどヘルパー二級の資格をとったばかり、身体的な技術はとにかく、「声かけ」という事の大切さが全く分かっていませんでした。しばらくは模索状態でしたが、その後は青春時代をほぼ太平洋戦争開始の時期前後に過ごされた方の事ですから、まず想像力をたくましくする為、図書館に通い、その頃の描写のある本は片っ端から読みました。私の住んでいる市は図書館の分館が多く、大抵の本がパソコン検索で借りられます。そうした幸いさがあって、いつも準備しながら通いました。
 これはわりに功を奏し、軽症重症の認知症の利用者さんが多い中にあって、最後までこの方の頭脳の明晰さが失われる事はありませんでした。
 ただこの方は重度の嚥下障害がありましたから、昨年の12月から病院暮らしとなり、この2月に急激に肺炎が悪化されたのです。
 危機は2月12日の午前11時半頃到来しました。急激な血圧の低下と、私の観察では一時呼吸が停止し(これは主治医の先生の痰による一時的な停止というご判断とはちょっと食い違いました)、主治医の先生はもはや打つ手なしという事で、付き添いが私だけという時、残念ながら…と頭を下げられました。しかしその主治医の先生と私を派遣して下さった息子さんの先生とは仲が良く、この病院にも週1回は出向しておられましたから、どうしてもそのご夫妻が到着するまではという事が主治医の先生の頭をよぎったのでしょう。
 そこであちらを立てれば、こちらが立たずという八方ふさがりの中、投薬の大決断をされました。これが劇的に効いて元々心臓の強かったその方は、また序々に血圧をも上げ、下顎呼吸ではありましたが、必死に頑張られました。意識状態の低下はありましたが。
 その為に当日集まる事のお出来になった親族の方々は全員無事間に合い、病室でその方の死を見守る事が出来ました。
 まことに厳粛な瞬間でしたが、とても良い形の死でした。いわば至福の「看取り」ではなかったでしょうか。
 いつも忙しい主治医の先生は誠実且つ「朴訥」でしたが、わざわざエンジェルメイク(*死後の処置)の後挨拶に来られ、ご自身も学ぶことが多かったと語って下さいました。実に感動的で、集った一同もその主治医の先生に「こまで本当に有難うございました」と頭を垂れられました。医療崩壊の原因の一つである、先生とモンスター遺族との争いの多い中にあって。私もこの主治医の先生及び派遣して下さった息子さんの先生に、心から感謝の意を捧げました。
 長い長い14時間余の見守りでしたが、改めて誰にでも訪れる厳然たる「死」に思いを馳せました。
 「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」(伝道者の書12:7)。