ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

人間による裁きと神の裁き

 3月26日の夕刊では、「足利事件」で無期懲役刑が確定していた菅谷利和さんの無罪主張による再審で、宇都宮地裁の佐藤裁判長が無罪判決を言い渡した事を大きく報道していました。
 その無罪はおよそ17年前のDNA鑑定の明らかな間違いが根拠になっていました。
 このDNA鑑定はDNAの単純反復配列(simple sequence repeats=SSRs)のうち、60ほどの塩基からなる反復部分(=ミニサテライト)の反復回数が個人によって異なる事を利用し、それを数える事によって個人の識別を行う事だと言われています。
 当時の警察庁科学警察研究所でそれが真犯人のものと一致したとの鑑定結果が決め手となり、菅谷さんは有罪となったのでした。しかしそれはまだ導入したばかりの未熟なやり方で、数え方を間違った為生じた誤りでした。
 DNAの小さな断片を増幅出来ると言われるポリメラーゼ連鎖反応法(=PCR法)は画期的なものでしたが、それにしても試料を慎重に扱わないと、思わぬミスに繋がるという事でさえ、あまり知られていないのではないかと思います。要するに「科学」は絶対的に真実だと断定出来ないのです。
 余談になりましたが、この再審で異色だったのは、警察・検察対被疑者の間を取り持つ裁判官が、じきじきに謝罪した事です。
 これまで数多くの冤罪事件がありましたが、その判決時に裁判官が謝罪したという記憶は私にはありません。戦前の暗黒時代の裁判を調べて見れば、そして戦後の保守党の政権下でのそれを調べてみれば、間違った判決を下した裁判官は謝りもせず、その後ずっと沈黙を守ったまま亡くなったのではないかと思います。それを思う時、人間の行う事ですから、「疑わしきは罰せず」が無難だと言えるでしょう。
 では聖書の裁判官による裁きはどうでしょうか。この場合の裁判官とは、主なる神の事です。
 詩篇作者はこう証しています。「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい」(詩19:9)。
 全知全能の神は人の「心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)。私たち人間は絶対他人の心の奥底を知る事が出来ません。ですから真犯人が嘘をついても、それを見破る事は困難です。しかし主の眼識は極めて鋭いものがあり、人間が隠し通せたと思っても、ちゃんと天から見ておられます。ですからその裁きは真実で正しいのです。一例として完全犯罪者と思っていたダビデ王の例があります。神はそれを絶対に見逃す事がお出来になりませんでした。恐ろしい犯罪の指摘を受けた王の心はちぢに砕けてしまいました。
 新約の時代、その神と人との間を取り持たれるのは、救い主イエス・キリストです。「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです」(テモテ第一2:5)。
 この方への信仰により、人間の本来持っている「罪」は覆われて、無罪と見なされます。それは神からの一方的な無罪の宣言なのです。それゆえ罪赦された者は、以後感謝をもって主に仕えて行く事になるでしょう。
 菅谷さんに謝罪した裁判官とは対照的な聖書の神なる裁判官の事を考えてみました。