ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないー野田佳彦財務相の発言は適切か

 2011年8月15日「敗戦記念日」に、野田佳彦財務相が「「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」と発言した事が、マスコミで報じられました。あいにく次期民主党総裁選の立候補で、関心がそちらに向かってしまい、この決して小さくない発言はあまり突っ込んだ追求がされていません。
 これは野田氏がまだ野党時代の2005年10月17日に、政府に出した質問主意書に書いた事を繰り返したものです。
 「戦犯とされた人々の名誉は法的に回復されており『A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣靖国神社参拝に反対する論理はすでに破たんしている」というのがその内容です。
 A級戦犯として処刑された軍人には、板垣征四郎土肥原賢二東條英機武藤章松井石根らがおり、文民からは唯一広田弘毅が処刑されています。この広田に関しては、城山三郎著『落日燃ゆ』を読んで、何となく腑に落ちなかったのですが、他の軍人たちは戦争中に随分ひどい事をしています。
 しかし野田氏が言っている「戦犯とされた人々の名誉は法的に回復されており」という事の意味が今一つ分からず、ネットで調べてみました。1952年のサンフランシスコ条約締結と、その後の国会決議などを踏まえたものと思われます。
 東京裁判について幾つか本を読みましたが、今でもその是非が問われているようです。ですからその事を今は論じません。
 問題は野田氏が日本の法に基づいてA級戦犯たちの事をもはや戦争犯罪人と見做す事は出来ないという認識に立っている事です。ヒューマニズムの考え方です。
 しかし聖書ですと、法律を逆さにした「律法」と、犯罪人ではなく「罪人」という概念で、全く世の見解とは異なります。義である神はパウロを通して次のように言っておられます。
 「こういうわけで、ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められた…」(ローマ5:18)。
 「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:23)。
 ここで一つの違反とは最初の人アダムの犯した違反を指しています。そして私たちは皆彼の罪を負って生きているわけです。義の神の御前では、私たちの不義は全く弁解の余地がありません。私たち一人一人が神の聖なる律法に基づき有罪とされ、死に定められています。それは日本の法律のようにコロコロ変わるものではなく、不変です。
 しかしそれでは「救い」がありません。そこで神はご自身の御子イエス・キリストを地上に遣わし、私たち罪人の罪を全て負って十字架で死んで下さったのです。ですからその事を信じる人々に対し、神はこう言われました。
 「主が罪を認めない人は幸いである」(ローマ4:8)。
 ここで「認める」という動詞はギリシャ語でロギゾマイ、つまり「見做す」「勘定に入れる」「考慮に入れる」という意味です。つまり私たち罪人の罪は残るけれども、救い主イエス・キリストを信じる人はもはや罪人として「勘定に入れない」という、神からの一方的な無罪宣言です。その人は神からの誉れを頂き、永遠のいのちに至ります。
 翻って野田氏は世の法律に基づく「リーガルマインド」から、上記のような発言をしたのでしょうが、一個の人間としての立場はどうなのでしょうか。自分は犯罪など犯した事がないきよい人間である。A級戦犯も最早戦争犯罪人ではないから自分と同じ立場であると主張するのでしょうか。次期総理候補としてはなはだ危険な感じがします。隣の韓国では猛烈に非難しています。また靖国も堂々と参拝するのでしょう。政治の事は言いませんが、その軽い発言が国益を損なう事は大いにあり得ます。