ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日本語が亡びるのか?

 世界には数千の言語が存在すると言われていますが、現状はどうなのでしょうか?それらは生き残る事が出来るでしょうか?
 歴史を振り返ると、かつて隆盛だった言語、例えばラテン語も廃れました。それは音楽のコンサートでミサ曲を歌うといった場面や、自然界で新しい「種」が見つかったという時に付ける学名などでは生きていますが、普通の会話では使われる事はまずないでしょう。マルチン・ルターのドイツ語訳聖書が出るまで、ラテン語聖書自体が聖職者たちのものであって、一般の信徒が自国語でそれを読む機会はほとんど無かったのです。
 水村美苗氏の『日本語が亡びるとき』という本は、様々な事を考えさせられます。その副題が「英語の世紀の中で」となっているように、このインターネット普及の時代、主要な言語は英語となっています。

 水村氏は1951年に東京で生まれましたが、父親の米国転勤で12歳の時に一緒に渡米したわけですが、大の英語嫌いで進学したイエール大学と大学院では仏文学を専攻しました。現在は米国の大学で近代日本文学を教えながら、小説も書いています。
 その水村氏が言葉に有史以来2つの異変が起こっていると言っています。1つは名も知られていないような言語が急速に絶滅しつつある事、2つ目は世界全域で流通する普遍語としての英語がのして来ている事です。この英語そのものが、日本人には決して学びやすい言語ではありません。その為現在大学や商社などで英語を公用語として使っているところでは、相当な苦労を強いられていると想像します。
 では古代から独特な発展を遂げて来た私たちの日本語はどうなるのでしょうか?私たちは古事記とか源氏物語等を、学校の国語の古典授業で学んでいて、その変遷のおおよその事は知っていると思いますが、それとて学校を卒業してしまえばおしまいです。
 水村氏は英語が普遍語となった為に、日本語という外国人にとっては特殊な言語も、絶滅する危機にある事を、特にこの本の後半で強調しています。文学で言えば、国民文学が単なる「現地語」文学におちぶれてしまうという事でもあります。それは日本人が日本語を粗末に扱って来た結果でもあるとの事です。もともとそういう気が無かったと憤慨しています。
 私が最初に触れた聖書は文語体で書かれていました。それは当然「漢字かな混じり文」で、明治時代に旧約聖書が、大正時代に新約が明治時代の元訳から切り替わったという事情はありますが、難しさはあるにしても聖句は暗記しやすく、格調高いものがありました。例えば旧約の申命記8:3は「人はパン而己(のみ)にて生くる者にあらず…」ですが、これは聖書を知らない人でもよく唱えているでしょう。それが新改訳ですと、「人はパンだけで生きるのではない…」となり、ちょっと「梯子を外された」思いにかられます。水村氏が書き換えてみた萩原朔太郎の詩でも、それを強く感じます。
 水村氏によると、日本では明治時代以後「漢字を排除しようという動き」がずっと続いていたそうですが、1966年に旧文部省は「国語の表記は、漢字かなまじり文によることを前提」としました。それが実現したのは、隣の中国が漢字を使い続ける意志を明確にしたからだそうです。経済大国となった中国との付き合いを重視した為で、これは幸いな事でした。
 でも水村氏は、河合隼雄氏が「英語公用語論」を主張しながら「日本語と日本文化は絶対大丈夫」とする楽観論を批判し、「絶対大丈夫ではない」と喝破しています。
 そもそもが国語教育の基本を「すべての国民が書けること」に設定し、「読まれるべき言葉を読む国民を育てること」に設定しなかったのが、大きな間違いでした。
 水村氏はこの本の最後部分で、だからこそ「日本の国語教育はまずは日本近代文学を読み継がせるのに主眼を置くべきである」と三度繰り返し強調しています。それは出版語が初めて真に統一され、規範性をもって流通し始めたからです。それが文化です。また西洋の衝撃を受けた日本が曲折を経て、日本語の古層を掘り返しつつ、近代文学を開花させたからです。それを読む習慣がつけば、近代以前の日本語がおぼろげながらも通じるのです。さらにこの時期の文学者たち、例えば夏目漱石など、最も気概もあれば、才能もある人々が文学を書いていた時代だからです。
 では旧約聖書の主体を占めるヘブル語はどうでしょうか?水村氏は当然この言語にも触れています。それは旧約時代の終了と共に次第に廃れ、「書き言葉」として残ったのみで、ギリシャ七十人訳で受け継がれて来ましたが、1948年に「不死鳥のように蘇った言葉」と言っています。現代イスラエルではそれが「国語」となっています。

 旧約の時代には無かった言葉がありますから、「現代ヘブライ語辞典」を見ても、そうした言葉が追加されています。しかし大体に於いては、旧約のヘブル語を学べば、現代の国語を理解するのは容易だと思います。
 そして私の想像ではイエス・キリスト千年王国の時代が到来すると、全世界で使われる公用語は「へブル語」になるのではないかと密かに思っています。