ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

米軍兵士によるアフガン殺戮

 アフガンでは最近米兵による狂った行為が目だっています。彼らの聖典であるコーラン焼却(2月21日バグラム米軍基地)、死んだタリバン兵士への放尿(1月11日に画像発覚)、そして3月11日の米軍2等軍曹ロバート・ベイルズによるカンダハル州の市民16名の虐殺等々です。

 既にブログで書いた事がありますが、こうした報道はいつも優位な米国側の視点からのものが圧倒的です。記事をワードに貼り付けておいたものを読んで見ても、アフガン市民虐殺はロバート・ベイルズ個人の精神異常であるとか、普通でない戦歴とかに絞られていて、被害を受けているアフガンの人々やタリバン兵士側からの訴えが聞こえて来ません。

 私の見る限りでは、タイム誌電子版が結構広い視点から報道しており、3月20日のものを読みますと(http://globalspin.blogs.time.com/2012/03/20/the-afghan-massacre-is-the-result-of-war-not-just-one-soldiers-twisted-mind/#ixzz1po6vjaZO)、亡くなったアフガンの人々16名の名前を挙げています。そしてその日のサイトニュースの題名は「アフガンの虐殺は戦争の結果であり、単なるごろつきとなった一兵士の犯行ではない」といったものでした。写真右がロバート・ベイルズ。
 勿論限られた紙面で上記の記事を深く掘り下げる事は不可能ですが、10年以上にわたった米軍占拠の一症状がこの虐殺であると位置づけています。ベイルズの米国隣人も、「これは戦争が作り出したもので、自分の知っている彼の問題ではない」と言っています。記者も「戦争はこれまで常に人間を非人間的にし、最も正しい戦闘員であろうと、それを逃れる事は出来ない」という事を指摘しています。過去においてもベトナム戦争を始め、こうした虐殺は数え切れないほどです。
 こうした記事を参照しながら(と思いますが)、2012年3月27日の朝日の時事小言では、国際政治学者の藤原帰一氏が「アフガンの米兵銃乱射 戦争が生んだ醜い暴力」という題で、記事を寄せています。藤原氏も「アメリカの報道は米兵の内面ばかりに目を向け、殺された人々がほどんど登場しないばかりか、アフガニスタン介入の是非を問う報道も少ない。同じ事件が、見る側によって違うものとして映る」と言っています。
 今度の虐殺事件でアフガン大統領のカルザイ氏は、米国に強く抗議していますが、3月17日のハフポストサイトを見ても、まだ「村から出て行け」くらいで、国から出て行けまでは言っていません。復活したタリバンとの抗争が軽視出来ないからだと思います。
 しかし藤原氏はもはやアフガンの米軍は「解放者としての支持を失い…早期退場を求められている。そして米軍は撤退するだろう」と予測しています。
 この戦争はキリストが「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです」(マタイ15:18−19)と言われた、心の罪から生まれます。自分はそんなと思っておられる方がいると思いますが、聖書では誰もが罪人で、戦争とい狂気の中で残虐な行為を行なう可能性があります。
 「終わりの日(*来るべき千年王国の時代)に…主は多くの国々の民の間をさばき、遠く離れた強い国々に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない」(ミカ4:1,3)。
 二度と戦いのことを習わないというのは、二度と戦争の事を教えない、訓練しない、習得しない、受け入れないという意味です。
 これが起こるのはまだ先の事で、残念ながらキリストはこの恵みの時代にあっても、「戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません」(マタイ24:6)と言って、戦争が決して終わらない事を預言しておられます。
 誰もが持っている心の罪、それがどんなに些細であっても、大きくなってゆく可能性があります。この解決は救い主キリストにしかありません。