ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

第三年目の十分の一を収める時

 「三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、【主】が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである」(申命14:28,29)
 消費税が8パーセントから10パーセントに引き上げられようとしている。その目的についてはいろいろな事が挙げられているが、財務省の説明としては、「特定の者に負担が集中せず、高齢者を含めて国民全体で広く負担する消費税が、高齢化社会における社会保障の財源にふさわしい」などと謳っている。しかし貧しい人々を手厚く守るものでない事は分かる。ネットによれば消費税が初めて導入されてから、所得税累進課税率が徐々に下がって来ており、一般庶民を苦しめる逆累進課税となっているからだ。
 しかし政権としては、選挙の事もあるから、この引き上げで困る弱い人々の為に、いろいろな救済策を考えているようだ。つまり多数派を占める彼らの動向に、自民党など戦々恐々としているのだ。これで政権の座を降りる事になったら大変だからだ。
 いずれにせよ、買い物の10分の1の所得税はずっしり重い。現在の8パーセントでも、消費税抜きのスーパーでは、合計するとあれこんなになるの?という感覚である。だからこちら勿来では、トンネル一つ越えて北茨城市に入ると、トライアルという消費税込みのスーパーがあり、最近東南アジア系の人々もよく来ている。買い物袋一杯買っても、ああこんなに買えたんだというリッチな気分になる。
 前回に続いての申命記である。神への捧げ物として、全収穫物の10分の1が、モーセの律法以前から、アブラハムヤコブら族長たちによって捧げられ、後に律法で正式に規定された。今も同じだ。つまり聖書の始めから10分の1は決まっていた。勿論他にもいろいろな捧げ物の決まりはあった。
 この申命記の掟は、3年目毎の10分の1に関わるものである。特に町にいるレビ人、在留異国人、みなしご、やもめ(つまり貧乏人の代表)は、これに与る事になっていた(1,2年は聖なる場所と、決まった祭司たちに与えられた)。これは同胞に対する神の恵みである。ユダヤ人はこれを「貧しい者の為の10分の1」と呼んでいた。

 収穫の落穂(ミレーの絵画で有名。ウイキから)も、彼ら貧乏人たちの物であった。神が配慮された。
 申命記を知らない財務省にはこんな発想はない。ただ主なる神によるもので、その忠誠を示す者は祝福を受けた。
 私も年金だけでは絶対に食べて行けない。故に教会へは10分の2以上神に捧げている。マラキ3:10では「あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか」試してみよ(唯一人間の側からの神への試しの個所)と、神は言われた。神に絶対の信頼を置けば、豊かな祝福を受ける。