ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

介護保険制度10年その問題点と聖書の事例

 今からちょうど10年前、介護保険制度が発足しました。多くの人々の期待を集めた制度ですが、2度にわたる報酬引き下げもあって、サービスは今どう変わっているのか考えてみました。
 私の場合独身のまま、狭心症の発作を起こし腎臓も悪かった母を長らくケアしていた関係で、前の居住地では、非常に評判の良かったクリニックのドクターと知り合い、ずっとお世話になりました。
 まだこの介護保険制度が始まる前から、地域の人々の必要を覚え、近くの廃屋となっていた民家を買い上げ、最初は介護度の低い人々を昼間に預かってくれました。これは大変助かり、その間に外に出ていろいろな仕事が出来ました。
 そのうち母が老人性うつ病になり、もはや自分一人ではケアが出来なくなり、ちょうど介護保険制度が動き始めたので、早速利用する事になりました。新たにケアマネージャーの資格を取ったばかりの優秀な看護師さんと、月々の利用計画を練るのも楽しみの一つになりました。
 デイケアだけでしたが、それでも介護疲れにならずに済み、その間看護師さんやヘルパーさんからいろいろ基本的な介護の仕方を学び、自分がヘルパー2級を取得するまでに大体の事は身に着きました。
 しかし母はこのクリニックに併設する本格的なデイケア施設が出来るまでに亡くなりました。
 その後このクリニックに所属して、某有料老人ホームに7年間通うようになりましたので、デイケア施設で行っている事と、有料老人ホームでの仕事内容は、目で見て技術を盗んでいました。
 そうした頃に小泉内閣が発足し、小さな政府という方針で、介護や福祉の予算がどんどん削られ、その内容は少しずつ悪化しました。母がまだ生きていた時、1割で済んだ介護用品のレンタルも、確か現在では認定度が軽いと、全額負担ではないかと思います。
 介護保険料も上がり、中核をなすヘルパーさんの給与も、診療報酬の引き下げにより、一向に上昇せず、低いままで働き続ける事になりました。
 5月14日の新聞でも、介護保険に頼らず、顧客との自由契約で介護ケアを提供するNPO法人を立ち上げた柳本さんは、「保険の枠内では本当に必要なケアを提供できない」という実感が契機となっています。その柳本さんの目から見ても、現保険制度の枠内では確実にケアの質の低下を招いていると映っています。
 同じ欄で淑徳大学の結城教授も、経済格差が広がる中、貧困者がこの制度を利用する機会がなくなり、どうしても福祉制度と一体にして考えて行かねばならない、という事を主張しています。
 私が7年通った高級有料老人ホームでは、人件費を抑えるため、お年寄りとのコミュニケーションがとれない若者を採用し、ベテランの配置を怠っていました。その為少ないベテランの方々のうちにも、ぞんざいな扱いをする人を見かけましたし、記録に精一杯で、ロクにお年寄りに声かけも出来ない人が多くいました。その為お年寄りは次第に無口になり、足は弱り、速やかに認知症になり、ベッドで寝たきりになるケースが結構ありました。そのようなホームは実情を知らない人だけが入り、分かってしまった人はまだ動けるうちにそこを去って行くでしょう。評判は落ちるばかりです。
 翻って聖書の時代を考えますと、勿論介護互助制度などといったものはありませんでした。そして不具な人々や病で寝たきりの人々が多く登場します。その人々は社会からも距離を置かれ、大変な苦労を味わったに違いありません。
 でも周囲にいた人々でケアに限界を感じながらも、この方のところにお連れすれば、介護など必要なくなると思っていた人々もいました。この方とは勿論救い主癒し主イエス・キリストの事です。
 イエスが福音を宣べ伝えておられた頃、ある「中風」の人がたぶん家族か友人たちの介護を受けていましたが、ケアする人々は限界を感じていました。そこで車椅子もない時代ですから、4人の頑丈な人々がその中風の人を寝床のまま担いで、イエスのところへ連れて行きました。送迎の仕事を彼らはボランティアで行ったわけです。イエスがとある家でメッセージをしておられ、そこに割り込む余地がないと見ると、その4人は何と家の屋根までその中風の人を引き上げ、そこに穴をあけて床のまま吊り下ろしたのです。
 彼らはそこまでして、イエスに「介護」を委ねたのです。その信仰をイエスはよしとされました。
 もう中風の人は何度も「デイケア」に通う必要はなくなりました。イエスが完全に癒されたからです。「彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った」(マルコ2:12)。今日こうした奇跡は起きませんが、介護する者、される者、信仰を持つと、「生活の質」は全く変えられると確信します。