ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

仙台で医療活動を続ける岡部健さん

 2012年3月5日の朝日新聞に、「死生観 医者は語れず「という題で、医者の岡部健さんへのインタヴューがされていました。

 岡部さんは宮城県名取市で在宅ホスピスケア専門の岡部医院を開業している医師です。長年終末期のがんの患者さんらを在宅で診療し看取って来た、その方面では実績のある医師です。
 勿論昨年の3・11東日本大震災では、医院を拠点に活動したわけですが、勤めている看護師さんが患者さんを助けに行って津波で亡くなったという辛い経験をしました。
 岡部さんは大震災を振り返り、こう語っています。「震災の死者の多くは、医療の手が差し伸べられることのない、いきなりの死でした。そうなると医者ができることはない。あの世のことを語れる人でないとだめだと痛感しました」。
 確かに医師、看護師、ケアマネージアー、ヘルパー、ソーシャルワーカー臨床心理士を総動員して、患者の必要に応じた医療行為を行う事は出来ますが、「死は扱えない。死後の世界とある程度つながっていないと、人は死に切れないし、大切な人の死を受け止めきれない」という事になります。だから岡部さんはそうした問題を扱う「宗教者」が必要だと説いています。その宗教者も単に教えを説くだけではなく、患者が求めているものを聞き取る力がなければなりません。それには一定の訓練が必要です。その研鑽を重ねた宗教士を岡部さんは「臨床宗教士」と名づけ、これからの社会で必要だと認識しています。
 それで岡部さんは「心の相談室」を設け、宗教者との連携を図って来ました。
 震災で目立ったのは「お坊さんの人気ぶり」です。お経、祈り、位牌、数珠…。被災した人々はそうした坊さんの力、そして品物に向かって群がって来たそうです。
 残念ながらそこに「キリスト者」の姿が見られません。被災者の必要、死といった問題では私たち信徒も真剣に祈っていますが、どうしても聖書の場合、死と「罪」の問題は密接なつながりがありますから、それを言い出したら、途端に拒否反応に会うのでしょう。キリスト教では罪=死からの救いと、永遠のいのちを追求していますが、その問題を克服されたキリストへの信仰が必須です。
 そのキリストはまさに医者としての岡部さんが感じている限界を超え、苦しんでいる人々を身体的にも霊的にも癒されました。
 「イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった」(マタイ9:16)。
 ここに身体的な病気と、目に見えないサタンの支配下にあって罪に苦しむ霊的病いの双方を同時に癒されたイエス・キリストを見ます。キリストはその教えだけを説いたのではなく、全能の「医者」でもあったわけです。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」(ルカ5:31)と言われたキリストは、真の医者でもありました。

 ですから16世紀フランスで外科学の創始者と言われるアンプロワーズ・パレは、「われ包帯し、神これを癒したまう」という名言を残しました。医者は医療行為、そしてその限界を超えて神が癒しを与えられるというわけです。
 被災地ではキリスト者がどう行動するのかが問われています。難しいですが、救われた人が将来への希望に満ち溢れるのは間違いありません。