ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

体罰の是非を聖書から考える

 「子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる」(箴言23:13−14)。
 子どもの懲らしめに関しては、旧約聖書箴言に集中的に出て来る。その内容も結構厳しい。主の正しい道を反れて我がままに振る舞う子を、親はむちで打っても矯正しようとする。ただし「子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる」(同13:24)とある。親は子を愛するが故にむちで懲らしめるのである。
 私の教会の若い牧師は、その家庭の父親がやはり牧師であった。それで幼い時親の言う事を聞かなくて、何度もお尻ペンペンされ、泣いて逃げ回ったという。しかしそのせいもあって、現在良い牧会活動をしている。立派な信仰者だ。主なる神の愛が基本である。
 そういう聖書的基盤の無い日本では、特におじいちゃん、おばあちゃんの居ない核家族にあっては、どのように子どもを育てたら良いのか分からない。だから親子のいろいろな悲劇が生まれる。 
 たとえば躾名目の体罰が度を越して虐待になる事例が後を絶たない。
 10月9日の朝日新聞では、記者の三輪氏が、現民法に親の懲戒権がある事を教えてくれた。
 さらにそれを受ける形で、10月19日の記事では、「しつけと体罰」が掘り下げ論じられていた。
 大学教授の西澤氏は、体罰は「子どもの行動をコントロールできたという親の達成感・有能感を得るための行為」だと言っている。親の自己中心から出た行為と言えるだろう。そして子どもの自立性を養うしつけの本質とは逆の行為だと主張している。それは一理あるかもしれない。それから氏は体罰の歴史に遡り、キリスト教性悪説に触れているが、「人間は悪魔を宿して生まれてくる」、だから「体の中からその悪魔をたたき出さないと子どもは育たない」という、聖書の教えとは全く間違った紹介をしている。大学教授なら、きちんと聖書を理解してから伝えて欲しいと思った。
 もう一人「セーブ・ザ・チルドレン」という組織の職員瀬角氏の意見があった。体罰は子の発達に悪影響を与えると主張し、西澤氏と同じように、体罰はしつけとしては逆効果であると言っている。それも一理あるだろう。
 でも聖書には「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである」(箴言29:18)ともある。幻と訳されたハーゾーンは英語ではvision、revelationが多く採択されている。啓示とか黙示と訳せる。さらにguidance from God =神からの指導、助言という言葉を導入した英訳もある。
 再度言うが神の黙示のない日本という国では、人間中心の様々な意見が出て来るのは仕方がない。体罰の有無に関わらず、子どもが順調に育ってくれれば良しと言うべきか。