ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

坂本竜馬が果たした役割と聖書のキリスト

 私はテレビを見ていませんが、今大河ドラマ坂本竜馬を取り上げているので、ちょっとしたブームになっているそうです。
 彼は33歳という若さで見廻り組の手により暗殺されたと言われていますが、それまで各地を巡り大活躍しました。
 土佐から江戸まで上京したのが19歳の時と言えば、そこの高校から東京の大学に合格して上京した若者たちと同じ年齢です。
 ちょうどその頃に竜馬はペリー率いる黒船を目撃しました。
 この突然の来航で江戸幕府は混乱し、各藩は単純化してみると尊皇攘夷派と佐幕開国派に分かれ、死闘が繰り返されました。
 竜馬の属していた土佐藩尊皇攘夷派でしたが、彼は1862年に脱藩し、江戸幕府軍艦奉行勝海舟を切りに行きましたが、逆に説得され彼の弟子になりました。そして江戸幕府に対して海軍設立の必要性を説いていました。そしてまず神戸海軍操縦所を打ち立てるべく奔走していました。
 そうした時期に倒幕派の筆頭として動いていた長州藩は、佐幕派の薩摩・会津連合に破れ、壊滅寸前まで行ったようです。聖書で言えば士師記において、イスラエルの全12部族のうちベニヤミン族が壊滅的打撃を受けたようなものです。
 こうして犬猿の仲となった尊皇攘夷派の長州藩と、佐幕派薩摩藩でしたが、武力倒幕の為何とか両者を和解させるための動きがありました。まず長州藩桂小五郎薩摩藩西郷隆盛が会談をしましたが、妥協点は見出されませんでした。そこで竜馬が危機感を抱いて西郷を説得し、1866年西郷と桂との間に入り、薩長同盟と呼ばれる盟約が成立したのです。到底和解が不可能と思われるところで、竜馬が仲介者として入った為に可能になりました。ウイキペディアでは「一介の素浪人が保証を与えたものであって、彼がいかに信を得ていたかがわかる」と記しています。
 それはまさに聖書の救い主イエス・キリストを彷彿とさせます。イザヤ53で預言的に描写されているキリストは、「私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない…私たちも彼を尊ばなかった」(イザヤ53:2−3)。
 そのように貧しい人のかたちをとってこの世に来られたキリストでしたが、キリストには明確な目的がありました。それは「犬猿の仲」ならぬ実質の断絶となっていた神と人との間の仲介者となり、両者を和解させる為でした。疎遠の原因は人間の側の罪咎にありました。
 「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり…」(イザヤ59:2)。
 「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです」(テモテ第一2:5)。
 こうしてキリストは神と人との和解を成立させられましたが、それは人の側の罪咎による刑罰の身代わりとしてご自身を十字架で捧げる事によりました。竜馬は薩長和解から程なく暗殺されましたが、キリストは和解の時に死なれたのです。
 しかし違いは竜馬が死んで黄泉に下ったのに対して、キリストは三日目に甦り、天において世々限りなく生きておられる事です。
 このキリストが天から、まだ神との和解の成立していない人々を招いておられます。「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント第二6:2)。大局的に見て竜馬は日本を「救いました」が、キリストは今でも救われる人々を待ち焦がれておられます。