ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日航機墜落事故から25年

 今から25年前の8月12日午後6時12分、羽田空港を離陸し大阪に向かった日本航空ジャンボ機が操縦不能となり、群馬県御巣鷹の尾根に時速約500キロで衝突し、乗客乗員520人が亡くなった事は、いまだよく記憶しています。
 それより少し前私の母が具合悪くて神奈川の病院に入院しており、8月13日見舞いに行った帰り、病院待合室にあった大型のテレビでちょうど救出作業が行なわれているのを大画面で見たからです。前日の晩はジャンボ機が行方不明になり、捜索活動が続けられていた事をニュースで確認して寝ました。
 ですから翌日この大捜索活動を見ながら、大変な事が起きてしまったと、私も画面に吸い寄せられてしまったわけです。
 ただその時はカメラが意識して避けていたのかどうか分かりませんが、遺体らしきものは確認出来ず、生存者の救出作業に時間が割かれていました。おそらく全員だめだろうと思っていたのですが、4名の方が生き残ったのは奇跡でした。それからの延々と続く暑い夏の捜索活動では、別の方々はどうしたのだろうと考えていました。
 後に吉岡忍氏の『墜落の夏』や飯塚訓氏の『墜落遺体』などの本を読み、尾根への激突により、遺体が想像を絶する損傷を受けていた事をつぶさに知りました。自動車事故では時速50キロの正面衝突でも遺体の損傷が厳しい事は分かります。でもその10倍の時速での衝突は、人間の肉体の脆さをすさまじい勢いで見せつけられました。その後飛行機には3回乗りましたが、もし途中で事故が生じたら絶対生きて帰れないと覚悟して座席に座ったものです。
 この日航機事故で初めて「ダッチロール」という言葉を知りました。「飛行機が激しく横揺れしながら首を振り、8の字を描くように飛行する状態」と辞書にあります。日航機は伊豆半島上空直前で異常音を発し、機長は管制官の名古屋への誘導を断り、羽田に引き返す事を決意しました。そして焼津上空で舵を北に向けましたが、その時点で操縦不能、富士山をかすめた後ダッチロールに入ったようです。機長の願望はかなわずそのまま御巣鷹の尾根に激突してしまいました。全くの「的外れ」となったのです。あの時もし名古屋か海への不時着を試みたらどうだったかという思いはずっと付き纏っていました。
 私たちの人生でも同じです。人間は神によって創造され、神の栄光の為に生きるよう造られました。「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」(イザヤ43:7)。
 しかし堕落した人間は神に背いて自分勝手な生き方をし、人生のダッチロールを繰り返しています。神の栄光という標的を外しているのです。そこにあらゆる悲劇が生じ、人間は虚しく死んで行きます。「すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった…」(ローマ3:12)。「悟りの道から迷い出る者は、死者の霊たちの集会の中で休む」(箴言21:16)。
 しかし救い主イエス・キリストへの信仰こそ、迷いの人生から抜け出す道です。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)。
 ダッチロールを引き合いに出しましたが、事故で亡くなられた方々のご遺族のいまだ傷ついている心の慰安を改めてお祈り致します。