ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

四国と本州をつなぐ夢の架け橋瀬戸大橋開通とその後

 2011年10月15日の朝日新聞夕刊「昭和史再訪」の欄では、1988年に開通した瀬戸大橋の事を取り上げていました。道路と鉄道の2階建て構造で、当時としては世界最長だったそうです。間違えてはならないのは、この大橋が1つではなく、海峡部に架かる6つの橋及びそれらをつなぐ高架橋を総称しているという事です。

 これを鳥瞰すれば1つになるでしょう。画像はウイキペディアから拝借。ちなみに1997年、中国でツインマ橋という名のものが完成してからは、世界で第2位になりました。
 県で言えば岡山と香川になりますが、この夢の大橋建設の契機となったのは、国鉄宇高連絡線紫雲丸の沈没事故だったそうです。国鉄宇高連絡線の歴史をウイキペディアで調べて見ますと、戦前からこの瀬戸大橋開通までに結構衝突沈没事故があった事が分かります。ですから香川県としては架橋が実現される事は大きな夢でした。なにせ1955年の紫雲丸の沈没事故は死者168名という大惨事をもたらした為(*国鉄戦後5大事故の1つになっているそうで、私もまだ幼い頃新聞で読み良く覚えていました)、夢というより悲願と言うほうが適切かも知れません。修学旅行中の広島県の小学校児童らを含む若い人々が、無事に対岸に着く事が出来ず死んだのは、四国と本州の関係者双方にとってさぞ無念だった事でしょう。「あまりにも凄惨で、搬出活動にあたった者の多くが、長らくその状況を語ることができないほどであった」とあります。
 瀬戸大橋が開通すると、そうした海難事故はなくなりました。それで便利さを実感した香川県側が本州の企業誘致を盛んに行なった事は、容易に想像出来ます。特にこの橋の近傍に位置する坂出市の期待は大きかったと思います。
 しかしそうは順調に事が進まず、現在の坂出市はかえって人口減になっているそうです。新聞の「証言」欄で東山敏昭さんが登場しています。この人の祖父が有名な東山魁夷(かいいと読みます)画伯です。東山さんは「橋ができて便利になりましたが、島(*坂出市の)の発展にはつながりませんでした。漁業の島だったので、橋を生かして商売する発想がなかったのでしょう」と回顧しています。夢の架け橋実現が益とならなかったのは「的外れ」で、はなはだ残念です。
 そんな事を考えながら聖書を見ますと、こうあります。
 「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです」(テモテ第一2:5)。
 ご承知のようにキリスト教一神教です。かつて神と人との間には交わりがありました。人が罪を犯さなかったからです。ところが罪を犯して堕落した後、「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(イザヤ59:2)とあるように、両者は全く疎遠になり、橋渡しつまり架橋者がいなくなりました。人は虚しく死んで行きました。旧約においてごく少数の信仰者を除けば、皆望みがありませんでした。そこで神は時至ってご自分の最愛の御子を人のかたちでこの世に遣わし、ご自分との橋渡しとされました。仲介者と言ってもよいでしょう。それが救い主イエス・キリストだったわけです。
 そしてこの方を信じる事により、再び神と人との間に平和が回復して、神は喜び又人を祝福されました。双方はキリストを介して霊的祝福・霊的繁栄を得た事になります。そこが双方の発展につながらなかった坂出市との相違です。