ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ハゲと呼ばれ平手打ちした教師

 「エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、彼は振り向いて、彼らをにらみ、【主】の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた」(列王第二2:23−24)。
 神の預言者に対する軽蔑や嘲りは厳しい罰を受けるという事の一例。必ずしも子どもが死んだとは限りません。
 
 2013年3月22日の朝日新聞に「ハゲと呼ばれ平手打ちの教師 擁護派9割」という題のコラムがありました。
 事件が起きたのは神奈川県の小田原市にある中学でした。2年生の数学の授業中に起きたそうです。
 前の授業が長引いたかで男子生徒数十名が教室に入るのが遅れてしまいました。それを注意した50代の教師が、一斉に「うるせぇ」「バカ」「ハゲ」「死ね」といった罵声を浴びた為、彼らを廊下に正座させ、暴言の主を質しました。しかし誰も名乗り出なかったので、この教師は業を煮やし、一人ずつ平手打ちにしたのです。昔見た海軍兵学校の場面を彷彿とさせました。映画化された野間宏の『真空地帯』における古参兵の打擲は、明らかに暴力でしたが、海兵のそれは殴る人の躾みたいなものを感じた事があります。
 それから70年近く経て、今は体罰否定論がほとんどでしょうから、この教師一体どんな処分が出されるのでしょうか?教育委員会はこの教師に同情的な意見をかなり持っているそうですが、どういう結果になるか注目したいと思います。
 私なら聖書的な観点からこの教師のとった方法を支持するでしょう。「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子にむちを加えられるからである」(へブル12:6)が一つの手掛かりになる聖句です。
 でも暴言を吐く子どもたちの問題なかなか難しいです。ずっと考えて来ましたが、体罰を含め、これが絶対正しいと言えるだけのものを持っていません。
 教師の側からはたとえば河上亮一著『学校崩壊』、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』などの本が参考になります。評論家のほうでは大学教授を長く勤めて来た内田樹氏のブログもそうです。
 これらを要するに、この消費社会では自己中心的で「オレ様化」した子どもたちが、商品交換的な発想から、教師とは対等であると考えている事にあります。
 実は人間生まれた時から固有の罪の問題を抱えており、それが表面に出て来るのは、日曜学校の経験から、小学校3年位と考えています。もう4〜6年生になると「善悪の区別」がつき、自己中心化がいっそう進み、明確に罪志向となり、中学に入るともう権威者たる「神」を明確に否定し、教会学校を去って行きます。それが教師否定につながり、荒れる中学生と符合します。
 では教える教師はどうかと言いますと、本質は同じです。罪の問題はずっと抱えたままですから、何かのきっかけで生徒に暴力を揮ってしまう事も当然あり得ます。
 親も全く同じです。ですから聖書的に正しく教え躾ける事は不可能で、自己中心的に自分の子どもさえ良ければよいという考え方を抱き、その子どもが親の期待を外れたら暴力も生じ得ます。
 ここに困難さがあります。究極としては、例えば伝道7:20にある「この地上には、善を行い、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから」という事を信じて、神の権威・基準と、その神への畏敬を抱きながら教えてゆくほかないと思います。子どもにしても、その事実を小学校低学年でしっかり学んでおけば、後の日に「暴言を吐く」中学生、そして大人にはならないでしょう。