ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日本の中絶問題

 2012年4月19日の朝日新聞に、「日本の中絶母体に負担」という題の記事がありました。副題は「WHOが勧める方法、1割」とあります。
 人工妊娠中絶は日本の刑法では堕胎の罪にあたります。しかしそれが適用されないのは、「母体保護法」(1996年改正)というのがある為です。その法律の原則は、聖書にも出て来る近親相姦や強姦による場合、母体に死の危険がある場合の2つが主体であり、胎児に重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥がある事が判明した場合(例えばダウン症など)に堕胎するのは、ほとんど親の都合で、聖書から見れば殺人行為に当るでしょう。
 朝日の女性記者が平気で書いている「経済的理由」(母体保護法14条)は、ウイキペディアによると66パーセントで、堕胎理由のの大半に相当すると考えられます。勿論聖書の観点からはこれも殺人の罪です。
 中絶件数は年々減少傾向にあるそうで、2010年は21万件でした。その年の調査では中絶方法についても尋ねていますが、掻爬法(鉗子とキューレットという器具を使って掻き出す)と吸引法を組み合わせたものが48パーセント、掻爬法が35パーセント、吸引法が11パーセントでした。それはWHO(世界保健機関)が安全と勧めている吸引法とは逆行し、事故が起きやすいそうです。子宮に穴を開けたり、腸を傷つけたりする事があります。最悪の場合開腹手術もあり得ます。

 私はキリスト教信徒として「小さないのちを守る会」の辻岡健象氏の著書に触れたり、超音波映像による中絶場面を見たりして来ましたが、特に鉗子を使っての掻爬では、胎児は激しく逃げ回っており、相当なショックを受けました。掻き出されたものには、はっきり骨と分かるものがありました。まさしく医者による殺人行為との思いを強くしたものです。画像はグーグルから借用。
 そこで聖書ですが、母親の胎の中で胎児を組み立てられたのは主なる神です。
 「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです」(詩139:13)。
 だから子どもたちは主の賜物なのです。
 「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である」(詩127:3)。
 日本の若者たちにはこうした聖書の基盤がありませんから、概して経済や自分たちだけの生活の為に、気軽に中絶手術をしてしまいます。それも上記したように、掻爬法を選ぶ医師たちによって。この罪の報酬は胎児だけでなく、その人の死となります。