ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

増加の一途を辿る防犯カメラをどう考えるか

 2012年8月4日の朝日新聞では、「街中に増える防犯カメラに賛成?」というテーマで、朝日のアスパラクラブ会員に出したアンケート調査の結果が出ていました。回答を寄せたのは1万7千人のうち3,263人でした。

 それによりますと、明確に賛成・反対と割り切れる事柄ではありませんが、賛成28パーセント、どちらかといえば賛成58パーセント、反対3パーセント、どちらかといえば反対11パーセントと、反対派が意外と少ない結果になっています。
 賛成側理由(*二つまで選択可)としては、1もしものことがあった時、役立つ、2街の安全を見守ってくれる、3犯罪を未然に防いでくれる、4犯人逮捕に結びつく、などが挙げられており、反対側の理由としては、1映像を悪用されないか心配、2誰かが見ていると思うと気持ち悪い、3必要のない場所にあっても過剰、などとなっています。
 この結果について東大の生産技術研究所特任研究員の菅田さんは、「賛成派が予想以上に多く、防犯カメラが社会に浸透している表れだと感じた」と言っています。そのあたりが妥当なところでしょう。
 しばらく前は防犯カメラを前に警戒する人が多かったように思いますが、最近のこの結果は、「自分にやましい部分はないから」と、自分の身を曝される事に対して、抵抗感が薄れている事を示しているのだそうです。或る回答者は「子どものころ『神様が、お天道様が見ている』と聞いた。悪いことは自分の両親に従ってやってはいけないということ」と書いていました。防犯カメラ=お天道様の代用品というわけです。
 日本の犯罪率はどうかと言いますと、各種グラフを見ても、戦後からおおむね減少傾向にあるようです。元フリーターとして、岩波の雑誌世界に「希望は戦争」と書いて物議をかもした赤木智弘さんは、特に少年の凶悪犯罪に関して、増えるどころか減っていると断言しています。ですから犯罪の抑止力としての防犯カメラは、軽く「必要悪」としての認識位なのでしょう。
 自分は正しい、見られていてもやましいところはないという事は、刑法上の罪を犯すような事はしないという意味になるのでしょうが、聖書ではどんな事が言われているでしょうか?
 「神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない」(詩53:2−3)。
 ここでは監視カメラ役は、天から人の子らを監視している「神」です。上記の「お天道様」に相当する方です。その神の目から見ると、地上では「善を行なう者はいない。ひとりもいない」と、大変厳しい見方がされています。つまり誰もがアダムの子孫として、罪を犯す罪人であるという事です。聖書を見れば、いかなる義人であっても、ひどい罪を犯している事があからさまに示されています。それは神に背を向ける罪なのです。
 でもその和解不可能な神と人との間に、すばらしい仲介者が起られました。それが救い主イエス・キリストであって、この方を信じる人は、その背きの罪がないものとみなしてもらえます。それが救いです。
 そしていつか監視カメラ役でない神と、私たち人間との間の自由な対話の出来る永遠の時がやって来ます。「希望は神」。