ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

茨木のり子氏の『倚りかからず』と聖書信仰

 茨木のり子氏は1926年生まれの詩人で、2006年に亡くなりました。『倚りかからず』という詩集は1999年に出ています。
 ウイキペディアによりますと、彼女は愛知の女学校を卒業して東京に来た時、大空襲と飢餓という悲惨な経験を持ちました。
 そして彼女の代表作である「わたしが一番きれいだったとき」という詩は、学校の国語教科書でも採択されている有名なものだそうです。
 この『倚りかからず』という作品は、茨城の鉾田にいた時天声人語で紹介され、一度は読んでみたいと思っていました。それを図書館で見つけたので、早速読んだ次第です。
 その詩集には「マザー・テレサの瞳」という題のものがあります。そこで茨木氏は「マザー・テレサの瞳は クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて じっとこちらを凝視したり 瞬いたりして 中途半端なやさしさを撃ってくる!…」と書いています。だから信徒でない茨木氏は、彼女の瞳が「猛禽類のように鋭く怖いようだった」と萎縮しています。
 それは逃げた弟子ペテロが三度否んだ時、主イエスが十字架に向かう前に彼を見つめられた瞳のようです。
 「主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。』と言われた主のおことばを思い出した」(ルカ22:61)。ペテロは主の鋭くも憐れみに満ちた瞳に圧倒され、悔い改めて以後ぶれる事は決してありませんでした。茨木氏は「問われているのはあなたですよ」と訴えたマザー・テレサの瞳にたじろぎながらも、信仰に至りませんでした。
 この詩のすぐ後で、「水の星」という詩が出て来ます。そこにも聖書のノアの箱舟への言及があります。そこでは「善良な者たちだけが選ばれた船であったのに 子子孫孫のていたらくを見れば、この言い伝えもいたって怪しい」とあります。これは茨木氏がつまずいた箇所なのでしょうが、聖書の神は子々孫々の体たらくなど、百も承知です。その子孫からクリスチャンたちが生まれ、今世は一切の罪人が消える終末に向かっています。
 そして詩の表題ともなっている「倚りかからず」の箇所を見ますと、「もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない…ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい…倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と書かれています。
 それが彼女の人生経験から得た最終結論だったのでしょうか。
 詩ですからいろいろ深い意味が込められていると思います。しかし彼女は本当に真摯に聖書を読んだのかどうか。
 それより、もしかして教会に行って見たけれど、そこで何かに躓いたのか。教会は救われた罪人の集まりですから、誰か心ない信徒が塩味の効いていない言葉を投げかけたのかどうか。
 30分もあれば読める短い詩集です。彼女が倚りかかる事を拒否した「できあいの宗教」、そこにキリスト教も入っていたとすれば、こちらも襟を正さなければなりません。