ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

愛知県名古屋に今も保存されている自動織機と聖書の例

 9月7日の朝日新聞では、愛知県名古屋にある「トヨタテキノミュージアム産業技術記念館」の事を紹介していました。
 トヨタと言えば自動車の事に決まっていますが、歴史を紐解くと違った面が見えて来ます。
 この産業技術館はトヨタ自動車の歴史を紹介する博物館であると共に、発明王だった豊田佐吉が、1911年に建てた「自動織機」の研究と試験運転の工場もそこに再現されています。それは佐吉の長男でトヨタの創業者生誕100年を記念して作られたそうです。展示スペースが野球場と同じ位だという事ですから、写真のある自動織機展示場からも、それが想像されます。
 佐吉は今から86年前の1924年にG型無停止杼替式豊田自動織機というものを完成させており、それが写真に写っていますが、「自動織機」と呼ばれるくらいですから、通常見られる機織機とは趣を異にしています。所々に置いてある数十本の白い糸を巻きつけた紡錘がおなじみといったところでしょうか。
 この記念館を訪れた子どもたちは、16台ものG型自動織機が猛スピードで動き、あっという間に真っ白な布が織りあがるのを見て、歓声を上げたという事ですから、いかに速いかが分かります。佐吉が発明王と呼ばれるのもよく分かるような気がします。
 これが聖書時代のイスラエルなら、かなり「牧歌的な」機織りの光景が広がっていたと思われます。
 機織りの仕事で初めて出て来る箇所は、出エジプトを果たしたイスラエルが主の臨在される幕屋を作る時でした。その時糸を紡ぐ仕事は女たちが行いました。
 「また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ」(出エジプト35:25−26)。
 それを知恵に満ちた男たちが機織りしたのです。「天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で刺繍をした幕を作る}(出エジプト26:36)。紀元前1400年以降のイスラエル人は高度な機織り技術を備えていました。
 しかしこの機織り、聖書では譬えとして用いられる事がありました。
 「わたしの生涯は羊飼いの天幕のように、引き抜かれ、取り去られてしまった。わたしはわたしの命を織物のように巻き終わり、糸から切り離されてしまった。昼も夜も、あなたはわたしの息の根を止めようとされる。」(イザヤ38:12新共同訳)。
 「私の日々は機の杼よりも速く、望みもなく過ぎ去る」(ヨブ7:6新改訳)。
 前者は機織りが作り終えた織物がテーマ、後者は機の横糸を通す為の杼(ひ)がテーマであり、いずれもあっという間の出来事です。そのように両方の聖句は、「人生の短さ」の譬えとして使われています。
 また前者は不治の病に冒され試練に会っていたヒゼキヤ、後者は全身に悪性のおできが出来てやはり試練に会っていたヨブが言った言葉でした。
 厚い信仰者でも耐え難い試練で、早く天に召して欲しいと願う時があります。
 しかし今ほとんどの未信仰者は、医療技術の進歩もあり、世界有数の長寿国でもあり、「いつまでも死なない」と思っているようです。東大の中川恵一先生がよくそんな事を言っています。でも永遠の主なる神の目から見れば、人の生涯などあっという間に過ぎ去ります。ですから機織り機で速やかに切り離される織物のような短い人生の間に、救い主イエス・キリストを信じ、その栄光の為に様々な人生を織り成す事が出来たら幸いです。