ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

大丈夫か大震災で母親を亡くし、祖母が行方不明という宍戸亮君

 4月11日の朝日新聞東日本大震災で被災した人々の紹介記事がありましたが、その中に福島県立相馬市立磯部中学1年の宍戸亮君の過酷な状況も書かれていました。
 宍戸君は震災が起きた時は、同級生の家(たぶん高台の)に居て、携帯型ゲーム機で遊んでいた為助かったのですが、あいにく自宅は海の近くだった為、不在を心配した祖母と母親が車で家に向かったのが災いとなりました。
 母親は死体で見つかり、祖母はいまだ行方不明です。宍戸家にとっては最大の試練です。
 父親は母親の変わり果てた遺体を安置所で見て「泣き崩れ」ました。当然でしょう。
 しかし亮君は「歯を食いしばって耐えた。その後も涙を見せない」と記事にありました。亮君は父親は勿論母親の事も愛し尊敬していたようです。ですからとても悲しいはずです。でも避難所では親しい友人たちとふざけあって、気を紛らわしているようです。
 もしそうした状況が途切れ、一人ぼっちになったとしたら、どうでしょうか。思う存分泣いて過ごすというのが、正常なかたちではないでしょうか。もし友人たちの手前、かっこ悪いとか恥ずかしいなどと思っていたら、間違いだと思います。
 聖書ではイスラエル人(ユダヤ人)は、親しい人の死で、私たちには大袈裟とも思える態度で泣き崩れ、喪の期間を過ごしました。
 「イスラエル人はモアブの草原で、三十日間、モーセのために泣き悲しんだ。そしてモーセのために泣き悲しむ喪の期間は終わった」(申命34:8)。
 イスラエルは尊敬する指導者モーセの死に遭い、皆泣き悲しみました。それも1ヶ月の間です。これが大切で、その期間を過ぎてから彼らは立ち上がり、約束地カナンに向けて突き進んで行く事が出来たのでした。
 亮君の場合、精神分析学では母親の死を「対象喪失」というのだそうですが、その後の「喪の作業」を欠いたまま過ごしてしまうと、長い期間「鬱」の状態になる事が知られています(キューブラ・ロスらの研究)。
 私自身でさえまだ母親の死に対して、本当に喪が明けたとは言えない状態です(8年も経過したのに)。
 ですから亮君もイスラエル人に倣い、父親と或いは一人で泣き崩れる日々を持たないと、その後が心配です。
 しかし重大な試練の時の真の慰め主は主なる神です。
 「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」(マタイ5:4)。
 私たちは救い主イエス・キリストのみことばと格闘しながら、徐々に喪の期間を乗り越えてゆくべきではないでしょうか