ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

内なる狂気は戦争の時だけでなくても顔を出す

 「また言われた。『人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです』」(マルコ7:20−23)
 忙しくて図書館から借りた本も期限までに読み終わらないほどです。
 でも最近読んだ『戦争をよむ 70冊の小説案内』(中川成美著)は、いろいろ考えさせられました。内容が凝縮された70冊、幼い時に読んだ本がある一方で、こんな戦争文学があったのかと思うほどの本も紹介されていました。
 戦争が普段は凡庸な人々を狂気に駆り立てるという事は、その体験のある方々の本や話を伺っても事実だと確信します。今の日本は平和だ、戦争は人殺しだしいやだと思っていても、戦前の日本を辿って見れば、気がついた時は、例えば『国家総動員法』などによってがんじがらめにされ、否応無く戦争に刈り出されます。権力者のやる事は非常に巧妙です。
 安倍晋三という人は権力をもって国民を戦争に導こうとする極めて危険な人物です。悲惨な戦争体験がないだけ、その想像力も乏しいです。ですから聖書的な観点からすれば、まず祈りから入ります。神がこの人を首相に立てたのなら、庶民の為に善政を行なうようにと祈ります。しかしもし自分の誉れとか国の栄光だけとなれば、バビロンの王ネブカデネザルのようになります。即ち「…いと高き神は、あなたの父上ネブカデネザルに、国と偉大さと光栄と権威とをお与えになりました。神が彼に賜った偉大さによって、諸民、諸国、諸国語の者たちはことごとく、彼の前に震え、おののきました。彼は思いのままに人を殺し、思いのままに人を生かし、思いのままに人を高め、思いのままに人を低くしました。こうして、彼の心が高ぶり、彼の霊が強くなり、高慢にふるまったので、彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました」(ダニエル5:18−20)。神様はご自分を差し置いて高慢になった人を、その王座から退けられます。だから私も「みこころでないなら、安倍首相をその座から引きずり降ろしてください」と願います。
 この戦争が生む狂気は例えば角田光代の『笹の舟で海をわたる』にも現れています。中川氏はこう指摘しています。「戦時下という異常な空間の中に放り出された子どもの内部に蓄積された傷痕は…複雑な意識を造成する。最近のいじめはかつてと違って陰湿化、悪質化したとよく言われるが、この作品に現れるとおり、いつの時代でも子どもたちの集団は、とてつもない悪を実行することができる。それはいつも、大人たちの狂的な心性の反映としてあるからだ」。そうです、別に集団でなくても、善悪を判断する事が出来るようになった子どもたちの心には、普遍的な罪が顔を出して来ます。冒頭の聖句でイエス・キリストが言われたとおりです。
 田村泰次郎著『蝗』への中川氏のコメント。「『戦時慰安婦』制度は、戦地で強姦などの性暴力を生まないようにという、もっともらしい名目で設けられた。だが、『慰安婦』制度そのものが、究極の戦時性暴力であることは言うまでもない」。鋭い指摘ですが、これも冒頭のみことばを受け入れる限り、何も戦時に限った事ではありません。この私の心のうちに普遍的に存在する罪です。
 高橋たか子著『誘惑者』ではこうです。「あらゆる悪意や狡猾さ、非人情を戦争によって味わい尽くした日本人が、心に抱えた闇は深い。戦争は生き残った者にも、死にも等しい虚無を投げつけ、生きる意味を見失わせるのだ」。勿論そうなんですが、そうした罪の気持ちは戦争が無くても出て来ます。それから来る虚無、主イエス・キリストが十字架で解決して下さいました。だから「私にとっては、生きることはキリスト…」(ピリピ1:21)というように、心は変えられます。
 宮田文子著『ゲシュタポ』について。「金銭に執着し、状況に左右されるゲシュタポの役人たちが、圧倒的な権力を掌握した時、そこにはその凡庸で矮小な人間性であるからこそ、思いもかけない残酷さを生み出していく恐怖を、本書は強く訴えてやまない。それはやがて書かれるハンナ・アーレントの『イエルサレムアイヒマン』(1963年)と無意識下に繋がっているのである」。その通りです。でも信仰の父アブラハムでさえ、状況に左右され、自分のいのち惜しさに妻を売ったりするのです。凡庸な私ですが、非常時にはアブラハムと同じ事をするかも知れません。
 このように著者中川成美氏の戦争小説案内は極めて刺激的です。どのページをめくっても、あっ、この本読みたいという気持ちにさせます。今までに読んだ本でも、もう一度という気持ちにさせます。私は野間宏なら『真空地帯』しか読んでいませんでしたが、この本で紹介されている『顔の中の赤い月』を図書館で借りて読む事にしました。