ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

再度重要な証拠を改ざんした大阪地検特捜部の前田容疑者とその組織を考える

 当然法に則り「正義」でなければならない検事が証拠を改ざんする、或いは捏造する、しかもそこに権力が伴い、被疑者は皆有罪とされ、ある人は死刑に、ある人は懲役にといった事が平然と行なわれるなら、その検事を含めた検察組織は「ちんぴらやくざ」と同じではありませんか!
 朝日9月30日の報道によると、大きな事件で容疑者を逮捕する前には、通常どんな証拠が集まっているかなどについて、「着手報告書」なるものが書かれ、地検幹部だけでなく、高検、最高検にも決裁を求めるそうです。
 前田容疑者は押収したFDを改ざんしない限り、厚生労働省の村木氏(無罪判決)を逮捕する為に必要な決裁が通らないと思い、その事で直接問い合わせて来る大阪高検の幹部が「怖かった」と供述しているそうです。
 結局前田容疑者は都合の悪い証拠の存在を隠したまま、上記「着手報告書」を作成、大阪高検最高検の決済を得たとの事ですから、いかなる内部事情があろうと、彼の上部組織は知らなかったでは済まされず、この責任は最高検まで及ぶと私たちは考えてしまいます。つまり地検から最高検まで腐敗し切っており、解体的出直しをしなければ、到底庶民の信頼感など回復出来ないと思います。怒り心頭というのは、こうした事を指すのではありませんか。
 しかしここは冷静にまた聖書から対比してみたいと思います。
 「さらに私は日の下で、さばきの場に不正があり、正義の場に不正があるのを見た」(伝道者の書3:16)。
 この世では裁きの場、正義の場に必ず不正が存在します。なぜなら「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ3:10)からです。
 「ただ、主にだけ、正義と力がある」(イザヤ45:24)。
 この世を支配しておられる主なる神だけに正義と力、権力があります。しかし検察のトップといえども、人の子であり、そこに本来正義と力は存在しません。
 「イスラエルの子孫はみな、主によって義とされ、誇る」(イザヤ45:25)。
 ただ信仰によってのみ正しいとされた者たちだけが聖徒として、主なる神の下で平等な下部組織を構成します。この聖徒たちだけが真の正義を求め、実行する事が出来ます。しかし世の検察組織は下部から上部まで、信仰なき者たちの集まり(僅かなクリスチャンは居るかも)ですから、トップの神からすれば腐敗集団です。
 「力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる」(箴言14:26)。
 この義とされた聖徒たちは主を恐れ、主を力強く信頼しますし、何があっても主に避け所を見出します。ヘブル語のイルアーは恐れでもあり、また畏敬でもあります。前田容疑者は人である上司を恐れたという事ですが、そこには何の救いもありません。身の破滅だけです。
 「だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません」(使徒8:22)。
 誰でも自分の犯した罪を悔い改め、救い主なる神イエス・キリストを信じれば、救われてその罪は赦されます。
 故に前田容疑者もこの唯一正義である方に対してのみ、自己の罪を告白し、神の方向に向き直って歩み出せば、世間はとにかくその罪は神の御前に赦されます。始めに強い調子で前田容疑者を責めましたが、この神を信じて私たち聖徒の仲間に加われば幸いです。そうでなければ永遠の破滅となるからです。