ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

浜田晋著『老いるについて』を読む

 図書館で浜田晋氏の『老いるについて』を借りて読みました。いろいろ考えさせる箇所が随所にありました。読んでよかったと思いました。
 浜田氏は1926年生まれ、東北大学医学部出身で、都立松沢病院などでの勤務を経て、1974年に東京上野で浜田クリニックを開業、専門の「精神病」を主体に、地域医療を長く続け、2007年に年老いて引退しました。
 開業当時は48歳まだまだバリバリの町医者だったと思いますが、引退時は81歳で、その間自分の老いと共に、下町の患者を多く診察して来られました。その間のいろいろな出来事を纏めたのがこの本です。
 特に地域に住む老人の方々を診察しつつ、加齢と共に衰えてゆく自分自身を顧みながらの随筆ですから、実に真実味のある言葉に満ち溢れています。こういう本は特に介護関係に従事している若いヘルパーさんにどんどん読んでもらいたいと思いました。
 同時に89歳で天に召された母をさんざ苦労しながら自宅でケアして来た自分も、もっと早くこの本を読む事が出来たら、また違った介護の仕方もあったろうにと残念がった次第です。とにかく独身で周囲に家のほとんどない田舎での介護でしたから、老人性うつ病(最初はアルツハイマーの初期かと思いました)を発症した母のケアは模索状態で、様々な失敗をしでかしてしまいました。のう胞腎による腎不全や心臓、肺などの疾患で、あれが寿命だったと無理に納得させていますが、それでも未だに後悔する事しきり。早く天に行って、幼い時からよくしてくれた母親に真っ先に謝らなければいけないという気持ちで一杯です。
 それはとにかくこの本には随分附箋が挟んでありますが、最も学ぶ事の多かったのは終章近くにある「<講演録>老いとの対話ー義母と母との看取りから」です。上品で多彩な趣味を持った義母が老いて痴呆になってしまいました(亡くなった後の解剖結果はアルツハイマー病)。著者は悪戦苦闘、それこそ必死の介護をしながら、いろいろな事を観察し学んで行きます。妄想かもしれないと断った上で、「ぼけ老人は、人間の本質を見抜く力が、非常に研ぎ澄まされているようです。いかに上品で優しくですね、優しげに、声をかけたとしてもそれはもう、見抜いてしまいます。なにか全部そぎ落としてしまった人間の本質を見抜く力が非常に強いように思います」と言っています。私はハッとしました。私の母もかつて私自身の聖職者としての「偽善」を見抜いていたのではないか。むしろそうした職業を持ってからいつしか失ってしまった優しさに絶望し、大声で泣き出して抗議したのではないか、そんな事を考え慄然としました。
 あの時心停止する直前、目を見開いて私を見て、すぐ網膜から私の姿が消えてゆく、その僅か手前で母は私に何を訴えたかったのか…。
 そして著者は結論として「こんなときにはこうしたらよい、というノウハウ本がたくさん出ていますが、こういうものは、一切役に立たない、出たとこ勝負」と言い切っています。私はこの本で浜田氏が言いたかった事は、この言葉に凝縮されているのではないかと思います。がんの症状が一人一人違うように、痴呆の症状といっても、それこそ千差万別、まさに手探りのまま終局を迎えるのだと強く実感しました。
 聖書に「あなたを生んだ父の言うことを聞け。あなたの年老いた母をさげすんではならない」(箴言23:22)とあります。この罪を犯した私は、今畏れを持ってお年寄りに接しています。