ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

捕虜を刺し殺す訓練を拒否したキリスト者

 11月30日朝日新聞夕刊で連載していた「語り継ぐ戦場」のコーナーでは、歌集『小さな抵抗』を出したキリスト者渡部良三氏の事が紹介されていました。
 渡部氏は現在88歳、朝日記者の訪問は体調が優れないという事で拒否されたようですが、1944年中国河北省での戦争体験をずっと語り継いで来ました。
その頃日本軍は捕虜を原則死刑にする事になっていました。点と線の中国戦線では捕虜収容所もなければ、捕虜に食べさせる食糧もなかったからです。
 そこで渡部氏は捕らえた捕虜5人を銃剣で刺し殺す訓練の場に出されました。氏はキリスト者でした。この非情な場面で氏は勿論祈った事でしょう。すると天からの声がありました。氏はそれを短歌として残しています。<鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ「虐殺こばめ生命を賭けよ」>。
 それにより氏は決心し、この殺害訓練を拒否しました。結果はよってたかってのリンチです。それがどんなにすごいのかは、高校生の時見た野間宏の『真空地帯』の映画から想像がつきます。<血を吐くも呑むもならざり殴られて口に溜るを耐えて直立不動>。
 氏は主の守りによりそれに耐えて、無事日本に戻る事が出来ました。しかし氏にとってそれはトラウマであり、心に深い悔恨を刻んでいましたから、罪を犯しながらも、いのち惜しさにひたすら沈黙を守って内地に戻った兵士たちとは異なり、詩篇作者の次のようなみことばのように、その心情を吐露せざるを得なくなっていました。
 「私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った…」(詩39:3)。
 渡部氏の言葉はこうでした。「あの時…銃剣を大地に叩きつけ、まっしぐらに走り、刑台に縛されている捕虜の前に諸手を広げて殺すなと叫び、立ち塞がるべきであったのだ」。同じキリスト者として、渡部氏のこの思い、痛いほど良く分かります。これがもし自分だったらどうだろうか。いざその場面に直面したら、銃剣を地に投げ捨てるだけがせいぜいだったのではなかろうか。モーセ十戒にある「殺してはならない」までの消極的な姿勢で立ちすくんでしまったのではないか…。氏のあまりにも重い悔恨の念です。
 翻って今日、世界情勢を眺めてみますと、どこでも戦争が起こりそうな雰囲気です。人間は罪深い者ですから、過去の反省は生かされず、またぞろ愚かな過ちを繰り返すのでしょうか。「悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来る…」(マタイ15:19)。
 そこで救い主イエス・キリストはご自分に従う者たちにこう言われました。「平和をつくる者は幸いです」(マタイ5:9)。平和を作る者、エイレノポイオス、聖書ではこの箇所一回だけのみことばです。ですからかえって私たちキリスト者の責任は重い、渡部氏と共に「殺すなと叫び、立ち塞がる」覚悟が必要です。