ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ローマ法王制度

 「その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました」(マタイ15:6)。 
2013年3月13日夜、ローマ法王教皇)にフランシスコ1世が就任しました。コンクラーヴェというラテン語は初めてで、それが教皇選挙の意味だと知ったのは、ごく最近の事です。連日報じられたので世界の注目を集めたようです。
 現在カトリック信者は約17億人いると聞くと、その数の凄さには圧倒されますが、実際には名目的な信者が大多数だと思います。

 まずこのコンクラーベは法王に次ぐ地位を占めている枢機卿(ウイキぺデイアでは「教皇の助言者たる高位聖職者。 正式な称号は「聖なるローマ教会の枢機卿」)115人が参加し法王を選出したと新聞報道にあります。選ばれたのがアルゼンチン出身のベルゴリオ枢機卿で、その法王名をフランシスコ1世と呼びます。
 しかしカトリックという言葉(普遍的なという意味)が示す如く、カトリック教会は全世界にある教会の目に見えない形を指して使用されており、各地方に存在する目に見える教会(新約の初代諸教会からずっとその形)とは異なる為、枢機卿の代表が集まって選出するという事になります。全信者参加ではなく「民主的」ではありません。私の所属するバプテスト教会はそれぞれ地方にある教会ごとに、各信者が1票を持つ民主的な形態を採択しています。
 そして法王という職が聖書的ではありません。職階制度というものがあり、その最高位を占めるのが法王ですが、そんな事は聖書に一言も記されていません。弟子たる信者たちは皆、その群れから立てられた牧師の下、皆平等です。しかしカトリック教会は、ヨハネ伝の最後の箇所で主イエス・キリスト使徒ペテロに牧会のわざを委託されたかの如く解釈され、その後裔として法王という権力者が祭り上げられ、だいたい3世紀頃カトリック教会が設立されたと推測されています。
 歴代の法王たちは聖書以外に、イエス・キリストが警告された「長老たちの言い伝え」(マタイ15:2他)を数多く付け加えました。その中で無視出来ないのが、「幼児洗礼」です。そもそもバプテスマという言葉は「浸す事」を意味し、バプテスマを施す人ヨハネヨルダン川で施していたのが最初になります。ですからバプテスト教会は「浸礼」と呼んでいます。その浸礼が時を経て、滴礼などという簡素な形式に移り、幼児でも高齢者でも簡単に受けられるようになりました。そしてこの浸礼が信者に対して執り行われる筈なのに、信者になる為の儀式という解釈がされ、その滴礼が幼児にまで拡大されて「幼児洗礼」となりました。ですから大人として善悪が明確に分かり、罪を悔い改めてキリストへの信仰を持った人だけが対象だったのに、その罪の自覚も持てない幼児がそれを受けて、教会に加えられる事になりました。その幼児たちは洗礼で何となく信者になった気分でいますが、とんでもない!ですから私はそうした人々を名目的な信者と言いました。
 彼らが大人になると、そのうちの独身者を対象に、修道院というものが建てられ(これも全く聖書的根拠はありません)、修道誓願を立て禁欲的な信仰生活をする人たちが入りました。男は修道士、女は修道女です。これが聖書的でないのは、本来男女は神が設立された聖なる結婚制度に著しく反するからです。バプテスト教会では献身した信者が神学校に入ると、寄宿舎生活を送る事がありますが、独身でいなければならないという事は全くないのです。
 ですからそこを無視してむりやり禁欲的生活を送らせる事に、大きな罪の基があります。今回のベネディクト16世の退位の背景には、上記の言い伝えによる様々な汚職縁故主義等の発生や、子どもに対する性的虐待事件があったとされていますが、この修道院制度とも深いかかわりがあったと推測します。
 こうしたキリストよりも権威あるとされる法王を頂くカトリック教会が、先祖の言い伝えを重視し、突き進んで行った結果、暗黒の中世や十字軍を生み出し、16世紀の宗教改革をもたらして来ました。日本の庶民の最も大きな躓きは、そうした事にあると思います。
 勿論カトリック信者の中にも立派な人は多くいますが、米国などはワスプ(厳密には白人のプロテスタント右派と、カトリック右派=ワスクから成る白人保守派のエリート層)の存在が大きいです。彼らが非聖書的であるのは、キリストが強調された隣人愛(少数のエスニックの人々や黒人たち等への。マタイ22:39)を欠いている点で明白です。米国の悲劇はそうした人々が政治を牛耳っている事にあると考えます。