ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

上杉隆著『ジャーナリズム崩壊』を読んで思ったこと

 上杉隆氏の上記の本を読みました。氏は私も毎日見ているニューヨーク・タイムズの記者生活が長かった人です。改めてこの新聞社の積極的な姿勢や記者たちの記名入りの記事に対する誇りというものを知りました。
 それが日本のジャーナリズムとなるとどうでしょうか。それこそ上杉氏が批判して止まない旧来の陋習というものがあるのです。それは記者クラブ制度と報道協定(悪く言えば談合)に具現されています。つまり記者クラブに所属していない記者(特に外国人特派員など)は、政府要人などに対する単独インタビューが認められないという事を、私は初めて知りました。
 またNHKなどは一度批判したら、二度と取材をさせないという高圧的な姿勢があるそうです。このあたりは英国のBBCなどと全く異なるようです。相撲放送を独占的に放映してきたNHKですが、一連の相撲スキャンダルに対して、NHKはどう考えているのでしょうか。非難が集中してもその高圧的な態度は維持し続けるという事でしょうか。だから私はNHKが嫌いで、テレビも所持していません。権力寄り、慇懃無礼、悪ふざけはかつて見ていた私の実感するところです。
 それよりこの本の最後のところで上杉氏はこう言っています。「現在の日本にあって、新聞記者ほど、他人のミスに厳しく、逆に自らの過ちに甘い種族はいないのではないかと思う…間違いを犯した時にその間違いを認めない姿勢が悪いと言いたいのだ」。さらに「異業種の失敗には鬼の首を取ったかのように厳しいのに、同業他社、つまり新聞メディアのミスについては目を瞑る…」。
 これを見てちょっと思ったのは、このブログでも触れた事のある朝日新聞と、東大医科研によるがんペプチドワクチン臨床試験を巡る非難合戦です。私は上杉氏のこの本を読んでから、朝日の記事を文字通りには受け取らない事に決めました。もしかしたら東大医科研の言い分のほうが正しかったかも知れません。
 それ以上にぴんと来たのが聖書の主イエス・キリストによる有名なみことばです。
 「また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」(マタイ7:3−5)。
 これは他人のあらさがしをし、それを裁いていながら、自らのうちにもっと大きな欠陥があるのに気がつかない偽善者たちを批判された箇所です。そして主は私たちにまず他人を裁く前に、自分の襟を正しておく事の大切さを説かれたのでした。
 新聞社の人々もこのイエス・キリストのみことばを銘記しておくべきです。他人のミスに厳しく対処する前に、自らの過ちを全て正しておくのが、正しい順序です。