ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

自殺志願者の避難場所と聖書の逃れの町

 12月20日の朝日新聞では、「命の再出発寄り添う」という大見出しの下、「自殺を防ぐ『シェルター』」の小見出しの記事がありました。
 年間自殺者数が毎年3万人を越えています。彼らは自殺の場所を求めて様々な場所を彷徨しています。しかし心の底ではその選んだ場所において、自殺に踏み切れず逡巡しています。やはり本音は生き続けたいけれども、ここまで追い詰められてしまった、どうしよう…。
 そんな人々が選ぶのが、福井県東尋坊の絶壁であり、和歌山県南紀白浜の三段壁です。ルポはこの2つの地が選ばれ記述されています。
 前者はその絶壁近くに死に場所を求めてやってきた人々を保護するNPO法人の事務所を取材しています。ここでは週3回のパトロールで相当数の人々が助けられ、帰る当てもないので、しばらくその事務所に留まります。一時避難所である「シェルター」があり、そこで自殺志願者が次第に元気になり、もう一度やり直す気力を取り戻すそうです。
 後者は私も知っている白浜バプテスト教会が「シェルター」として、長年教会の建物や牧師宅で人々を保護して来ました。
 しかしこの自殺者数増加の傾向に追いついて行けず、やはりNPO法人を立ち上げ、そうした人々の命の再出発へ向けて、支援体制を整えています。近くのアパートを借りて、彼らが協同生活を送っています。昨年11月末で男女合わせて13人、希望すれば無料の食事提供の選択も出来ます。
 ここで2代目の牧師が力を入れているのが、3〜40代の社会性に乏しい人々の自立支援です。共同生活を送ってゆくうちに、近所の人々、近くの警察、病院などとのコミュニケーションが可能になるようです。
 しかしこの不況下、こうした自殺志願者たちが完全に自立し、新たな人生の出発に踏み切るのはなかなか難しいと、藤藪牧師は語っています。
 聖書ではどうか。対象者は自殺志願者ではありません。自殺=自分を殺すという事で、原則聖書では禁じられており、皆無とはいえないまでもそうした人物が登場する機会はほとんどありません。
 では誰がそうした「シェルター」に留まるのかといいますと、以下の通りです。
 「主はヨシュアに告げて仰せられた。『イスラエル人に告げて言え。わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、のがれの町をあなたがたのために定め、あやまって、知らずに人を殺した殺人者が、そこに逃げ込むことのできるようにしなさい。その町々は、あなたがたが血の復讐をする者からのがれる場所となる。人が、これらの町の一つに逃げ込む場合、その者は、その町の門の入口に立ち、その町の長老たちに聞こえるように、そのわけを述べなさい。彼らは、自分たちの町に彼を受け入れ、彼に一つの場所を与え、彼は、彼らとともに住む。たとい、血の復讐をする者がその者を追って来ても、殺人者をその手に渡してはならない。彼は知らずに隣人を打ち殺したのであって、以前からその人を憎んでいたのではないからである。その者は会衆の前に立ってさばきを受けるまで、あるいは、その時の大祭司が死ぬまで、その町に住まなければならない。それから後、殺人者は、自分の町、自分の家、自分が逃げて来たその町に帰って行くことができる』」(ヨシュア20:1−6)。
 この箇所を見ますと、逃れの場所は主が指定された町に存在しており、知らずに人を殺した殺人者たちが逃げ込んで保護されました。彼らは復讐しようとする人々から逃れる事が出来ました。彼らは一定の裁きを受けた後、適切な時期に自分の居場所に復帰する事が出来ました。
 この記事を見ながら、自殺志願者がこの主である神を知り、真の平安と希望を得て、自分たちの町や家に復帰出来る事を願う次第です。