ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

大英博物館の「死後への旅 古代エジプト死者の書」展と聖書の主張

 2011年1月26日の朝日新聞海外通信では、英国ロンドンにある大英博物館で行なわれている「死後への旅 古代エジプト死者の書」展が紹介されていました。
 それによりますと、「人は死後、どこへ行くのか。人類永遠の問いを、古代エジプト人がどう考えていたのか」を探る展示会で、「死者の書」というものが今回初めて公開され、しかも二度と公開されない為、それを見ようと多くの人々が訪れているようです。
 この死者の書はエジプト新王朝(紀元前11539〜1070年の期間と言われています)の頃、死者と共に埋葬されたパピルスの巻物だそうです。
 パピルスはネットによれば、カヤツリグサ科カヤツリグサ属の多年生草本とあります。下図はhttp://homepage3.nifty.com/hatazakura/aug1.htmlから拝借。

 それは聖書の写本でもよく用いられた為、昔何かの展示会で買い求めた事があります。エジプトの死者の書では、古代エジプト文字であるヒエログリフに不思議な絵画がカラーで多く添えられていて、見る者の目を飽きさせません。下図は朝日に載ったものの一部です。

 古代エジプトでは「死」はそれで終わりではなく、どうなるのかについての審判があったそうです。つまり死者の心臓を秤にかけるのです。心臓は心を象徴的に表しており、それを片方の皿に乗せ、もう一方には「真実と正義を象徴する羽」を乗せます。そして両者を量るのですが、もし心臓が重ければ有罪とされ、ワニに食べられてしまいます。もし両者の重さが等しければ永遠の楽園に行く事が出来るそうです(上図参照)。そこに「オシリス神」というものが存在し、死者はオシリス神と化して永遠に生きる事が出来ます。
 では聖書の世界ではどうなのでしょうか?
 「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた」(黙示20:11−15)。
 この黙示録の描写では、救い主イエス・キリストを信じないで死んだ者に対する最後の審判が明示されています。この時信徒は既に救われ、復活は完了してキリストと共に永遠に生き続けます。従ってこの審判の座の下にはいません。未信仰のまま死んだ死者のみが対象です。彼らはキリストの白い御座の裁きで裁かれて、永遠に燃え続ける火の池に投げ込まれ、そこで苦しむ事になります。それが聖書での厳しい現実です。しかし私たちは滅多にこの箇所から解き明かしをしません。むしろ「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント第二6:2)とある時代ですから、未信徒の死者の事は未信徒に任せ、救い主イエス・キリストとその信仰による永遠のいのちの賜物を宣べ伝える事を重点にしています。