ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

世界に通用しない日本の大手報道機関

 「神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す」(ダニエル2:22)。
 3・11まであまり問題が顕在化していなかった日本の大手報道機関でしたが、それ以後世界から不信感が広がり、もはや完全にその権威は失墜しました。
 マーティン・ファクラーというニューヨーク・タイムズ東京支局長が、全く信頼されなくなった日本の報道について、取材を続けながらその本質を考え続け、1冊の本にしました。その題名は『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』です。

 ファクラー氏は米国生まれ、自国や台湾、日本の大学に留学し、ジャーナリストとしてまずブルームバーグ通信社に勤め、次いでAP通信、ウオールストリート・ジャーナルを経て、2005年からニューヨーク・タイムズ東京支局員となり、2009年からその支局長となりました。日本語が堪能なので、2011年3月11日の東日本大震災では、東北各地を巡り精力的な取材を行いました。その活動で2012年のピューリッツァー賞の次点に選ばれています。
 その記事はhttps://twitter.com/facklernytから最近のニューヨーク・タイムズの記事にリンクされていて、読む事が出来ます。特に4月7日東電原発からの汚染水漏れについての記事がありました(http://www.nytimes.com/2013/04/07/world/asia/japan-nuclear-plant-leaks-radioactive-water.html?ref=martinfackler)。さらにファクラー氏と一緒に仕事をしている田淵広子記者もニューヨーク・タイムズに寄稿しています(http://www.nytimes.com/2013/04/11/world/asia/fukushima-nuclear-plant-is-still-unstable-japanese-official-says.html?pagewanted=all&_r=0)。
 ファクラー氏は支局長の立場でありながら、一平卒として東日本大震災の現場に足を踏み入れました。しかし南相馬に入った氏は、そこに日本の記者が誰もいない事に気づきました。記者クラブ詰めの記者が全員避難してしまったのです。岩手県大槌町も同じような状況でした。氏は勿論記者クラブから締め出されていますから、フリーの記者=フリーランスとして動かざるを得ませんでした。
 そこで氏はこの記者クラブ制度について痛烈な批判をしています。米国ではジャーナリズムは一般に中央政府への批判精神を強く持ち、権力への監視者としての共通認識を持っています。そして朝日や読売のような全国紙を持たず、氏の経歴にある新聞は全て地方紙であって、そこから全世界に挑戦しています。ちなみにその地方紙の日本版で氏が買っているのが「河北新報」「沖縄新報」で、「東京新聞」も有望視しています。例外として朝日の「プロメテウスの罠」を挙げています。「週刊東洋経済」もそうです。
 それに対して日本の大手新聞紙は、特に福島原発において、政府、東電、原子力安全・保安院などの発表を鵜呑みにし、検証もせずに横並びで報道しました。その結果報道の初期から事実は隠ぺいされ、地域住民が大被害を受けてしまいました。スピーディ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)も、読売などはいち早く機能していないと報じていましたが、実際には作動しており、文部科学省などが、パニックを避ける為公表しませんでした。その事実を記者クラブ詰めの記者が報じなかった事を、ファクラー氏は強く非難しています。そして氏はニューヨーク・タイムズにその事を載せて世界的反響を呼んだので、世界は日本の報道に対する不信感を一挙に増大させました。「日本のメディアはまるで官僚制度の番犬のようなものだ」。こうした氏の報道が功を奏したのか、以後当局は小出しで事実を公表するようになりました。
 ファクラー氏は日本のメデイアが有名国立大学、私立最難関大学の出身者で占められており、何か不祥事が起きない限り、一生安泰である事から、権力を監視する立場でなく、権力側と似た立場を採り、「官尊民卑」となっている事を問題視しています。ジャーナリスト=サラリーマンです。年収も一流企業の上を行っています。そうした彼らが貧困など社会に蔓延する深刻な問題に目を向けるはずがありません。
 ファクラー氏の持論は、記事にした人の責任を示す署名と、カネではなく自らの取材で得た真実を報じたいという強い動機を持ち、切磋琢磨しつつ、主観を交えて、独自の多様性ある記事を書くという事ではないでしょうか。横並びのつまらない記事ばかり書いていたら、すぐ編集長からクビを言い渡されてしまいますから。
 最後に氏は「国に、お上に任せていれば、平和な世の中が築かれると人々は信じている。記者クラブメディアが長らく存在していたのは、国民がそれを無意識のうちに認めていたからだとも言える」と警鐘を鳴らし、「より良い社会を作っていくうえで、ジャーナリズムが果たす役割はとてつもなく大きい」と、日本の民主主義の為新聞の変革を促しています。その強いうねりの中で、記者クラブが解体してゆく事も予言しています。