ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

死刑廃止に対して聖書から誤まった見方をした團藤重光氏と伊藤乾氏

 図書館から團藤氏と伊藤氏の対話を収めた『反骨のコツ』という本を借りて読みました。
 團藤氏は1913年生まれ、東大法学部を出て教授となり、最高裁判所判事も務めた事のある著名な法学者です。
 伊藤氏は1965年生まれ、東大の物理学科を出て東京大学大学院情報学環の准教授をしています。
 両者共大変知的で碩学の方々です。その主張に根本的な誤りはないものと考えていました。しかしです。
 この本は死刑廃止論についての両者の対話が中心を成しています。團藤氏は最高裁判事の時の悲痛な体験から、死刑廃止を訴え、その方面でよく知られた人です。一方伊藤氏は大学同級生にオウム真理教豊田亨被告(死刑確定)がおり、その裁判に関係を持っていた為、やはり死刑廃止を前面に打ち出しています。ですから両者意見一致の中での対話になっています。
 しかし両者の死刑廃止主張で、根本的な誤まりが見出されます。それは旧約・新約聖書の教えについてです。たぶん両者共聖書はよく勉強しているのでしょうが、信仰者ではないと思います。ですからこと死刑論議では、聖書の一貫性について何も分かっていません(私だって聖書の深いところは分かりません)。
自己の都合のよい箇所だけを引き合いに出すのはよく見られます。例えばモーセ十戒には「殺してはならない」とあって、人口に膾炙しています。
 そこで團藤氏は「生命は、神様が与え給うたものですね。それを人間の恣意によって奪うのは、神、天の意志に反するのではないか。神様といったけど、宗教的なものではなく、人知を超えたもの、という意味ですが」と言っています。伊藤氏もそれに答えて「汝、殺すなかれという大原則ですね」と十戒の文語訳を引用、賛同しています。さらに團藤氏は「人間が人間を殺すということは人道的にはあり得ない。生命は、要するに天の与えたものでしょう。それを人間が勝手に奪うということは許されない…だから死刑はそもそも絶対に許されない」、「私は本能的に人を殺してはいけないというのが絶対だと思う」、「神から与えられたものを人間が奪うこと自身、筋が違うんじゃないかと思います」、「神の与えたもうた生命を人間の力で奪うというのは人間の思いあがりでしょう」等々と言っています。また「教誨師の大半は死刑廃止論者でしょう」とおぼろげな発言をしています。これらから團藤氏が聖書をよく読んでいない未信徒である事が分かります。碩学でも間違う事があります。
 しかし聖書の主張は違います。既にノアの洪水直後神はこう言われました。「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから」(創世9:6)。死刑制度の許容です。でもあやまって人を殺した者の場合、「のがれの町」に留まり生き延びる事も出来ました(民数35:11)。
 そしてキリスト信徒の教誨師なら、だいたいこの死刑制度に賛成している筈です。
 しかし死刑確定後、獄中で回心した人の場合はどうでしょうか。勿論その人も死刑は執行されますが、一方で神の赦しもあり、死んだ後天国に行けます。
 繰り返しますと、神は死刑制度を作り、人にそれを委ねられました。しかし故殺でも、回心した人なら、神ご自身が天に引き上げて下さり、永遠のいのちの賜物が与えられます。團藤氏のヒューマニズムによる死刑廃止論は間違っています。