ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

縄文時代の食物としてのトチの活用

 阿部芳郎編著『考古学の挑戦』を図書館で借りて読みました。ちょうど乞われて発掘をやっていたので、最新の考古学の成果を少しでも知っておきたかったのです。
 その第二章を担当した栗島義明氏が、森の資源とその利用について書いています。
 縄文時代の森には多様などんぐり類が列島全域に分布していた事はよく知られています。このどんぐり、教義にはクヌギを指しており、私たち東日本に住む者にはなじみ深いものがあります。幼い時から森の中に入っては、大量に地面に落ちているどんぐりを拾って遊びましたが、今はそうした森や林は都会から消えて、子どもたちが実際それを手にとって見る機会は失われています。
 そのどんぐりは実ですから、例えばクリの実のように生で皮を剥いて食べられそうに見えますが、そうはゆきません。
 保存状態の良い縄文時代の土坑にトチが大量に保存されていた事例が見つかりますが、その時代の人々が食物としてトチなどを活用していた事が分かります。そしてそのカロリーの高さは意外でした。この本を読んで得た収穫の一つです。栗島氏によると、貝塚の貝類よりもずっと高いのです。精米に「ほぼ匹敵すると考えても差し支えないのである」。
 それならどうして生で食べる事が出来ないのでしょうか。どんぐりにはタンニンという中毒を起こす成分が含まれているからです。ここで取り上げるトチの場合は、特にサポニンという成分が含まれていて、非常に苦く且つ渋い為に、クマなども好んでは食べないくらいだからです。
 では縄文人はどのようにしてその栄養価の高いトチを利用していたのでしょうか。
 民俗学的調査では、驚くべき事に現在も埼玉県の秩父地方にその加工方法が保存されており、もう少し古くは飛騨でもそれが残っていました。
 それらを観察した結果、縄文時代人もそうした加工方法の技術を持っていたに違いないという結論に達したわけです。
 どんぐりを食用にする為には、事前に「灰汁抜き」という作業が必須です。ウイキペディアによりますと、「灰汁」とは「食品に含まれる、渋み・苦み・不快な臭いなどの元となる、食事には不要な成分の総称」とあります。ですからお湯や水を使って「灰汁抜き」をしなければなりません。私たちに身近な例としてはほうれん草の灰汁抜き、ごぼうの灰汁抜きなどがあります。
 秩父ではそうして得られたトチを砕いて粉としもち米と混ぜて「トチ餅」とし、飛騨では米と一緒に焼いておにぎりとして食べたそうです。縄文時代でも推して知るべしです。
 ところで聖書でも灰汁は出て来ます。譬えとしてです。
 「しかし、おまえの上に再びわが手を伸ばし、おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、その浮きかすをみな除こう」(イザヤ1:25)。
 「たとい、あなたがソーダで身を洗い、たくさんの灰汁を使っても、あなたの咎は、わたしの前では汚れている。――神である主の御告げ。――」(エレミヤ2:22)。
 これらの聖句によりますと、私たちには灰汁という罪咎が存在し、神の御前に汚れたものです。ですから聖なる神との交わりまたは信仰を得る為には、どうしてもそれを抜かなければなりません。しかしそれは自力では駄目で、神のみわざとなります。つまりそれは神からの賜物となります。
 そうして私たちは神に用いられる聖い器となるのです。縄文時代人は基本的にノアの洪水以後散って行ったヘブル人(ユダヤ人)の子孫です。彼らに霊的な「灰汁抜き」方法や、食用の為の灰汁抜き技術が伝承されていたとしても不思議ではありません。