ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

共通の基盤ベートーベンからブラームス派、ワグナー派への分派と聖書例

 樋口裕一著『音楽で人は輝く』という本を図書館で借りて読みました。内容はむしろ副題の「愛と対立のクラシック」でしょう。
 読んで意外だったのは、私も好きな後期ロマン派の巨匠たちが、ベートーベンを共通の基盤としながら、その後ブラームス派とワグナー派に分かれ、他の作曲家も両派に連なるという事でした。
 私はワグナーという作曲家があまり好きではありません。それは彼が「激烈な反ユダヤ主義の持ち主」だったからです。それがナチスドイツのヒットラーに多大な影響を与えたと見られるからです。ですから樋口氏も書いているように、ワグナーの曲はイスラエルでは演奏される機会がほとんどありません。確かパレスチナアメリカ人エドワード・サイードの本を読んでいて、ユダヤ人の指揮者・ピアニストであるダニエル・バレンボイムが、イスラエルで初めてワグナーの曲を指揮し、拍手とブーイングが半々に分かれたような箇所があったように思います。
 しかしそのワグナーも、ブラームス同様、最初はベートーベンを目標にしていたとは知りませんでした。
 ブラームスがベートーベンの交響曲第九番合唱付きを乗り越えるべく、数十年の年月をかけて交響曲第一番を作曲したのはよく知られています。しかし樋口氏によれば、ブラームスが模範にしていたのは、第九よりむしろ第五番運命だったというのも意外でした。
 つまりブラームスは緊密に統一され、言葉に頼らなかった第五番運命を模範としていたのでした。一方ワグナーは第九番の合唱付きに惹かれました。第四楽章に歌を加え、統一性よりも言葉でメッセージを伝えた事を重視したわけです。ですからワグナーはブラームスにはない楽劇を数多く作曲しました。
 それを基本に樋口氏はブラームスに連なる作曲家としてシューベルトメンデルスゾーンシューマンドボルザークを、ワグナーに連なる作曲家としてベルリオーズフランツ・リストヨハン・シュトラウスブルックナー、リヒヤルト・シュトラウスマーラー、ヴォルフを挙げています。
 こうした分派に各作曲家を分類した樋口氏は慧眼の持ち主です。興味深くこの本を読む事が出来ました。そして私自身ブラームス派の方をこよなく愛している事が納得出来たのでした。
 共通の基盤から分派が起こる、これは聖書の世界でもありました。勿論今日の諸教会でも起こり得ます。
 ここで共通の基盤とは救い主イエス・キリストです(「堅く据えられた礎」=イザヤ28:16)。
 そして「この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(ヨハネ5:39口語訳)とあるように、聖書全体がイエス・キリストのみことばです。
 それは人の作った難解な教典とは異なり平易なものですが、私たちが読んで分からない箇所は非常に多くあります。
 そうした箇所を巡り、解釈が分かれて遂には分派が生まれます。コリントの教会がそうでした。
 「兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、『私はパウロにつく。』『私はアポロに。』『私はケパに。』『私はキリストにつく。』と言っているということです」(コリント第一1:11−12)。
 これはまさに教祖ベートーベンから第五、第九を巡り分派が生まれていったのと同じ事です。
 ですから今日でもカトリックプロテスタント、バプテストなどの諸教派が存在するわけです。
 でもパウロは「あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです」(コリント第一11:19)とも言っています。私たちは自分の所属する教派以外の派を、ワグナーのように口を極めて非難する事はありません。本当に尊い礎石であるキリストを信じた者は、皆どの派から出ようと救われるからです。ブラームス派の人々、ワグナー派の人々、もう一度共通の基盤であるベートーベンに戻りましょ。