ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

藪の中

 「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ」(伝道12:14)。
 聖書の神は全知全能である。どんな隠れた事柄も明るみに出される。そして裁かれる。「神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ」(伝道12:14)。その神が前面に出ていた神政政治の時代、モーセの律法が確立された。契約の民同士の細かい規定もモーセの五書のうちにある。
 特に罪を犯した民の場合、有罪の手続きは今よりずっと簡素だった。「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない」(申命19:15)。2〜3の証人の証言で有罪が確定する。
 こういう認識は聖書が土台になっていない日本ではまず無い。罪意識がないから良心も麻痺する。
 東電原発事故では旧経営陣の責任を問う裁判が続いている。刑法の業務上過失致死傷罪で告訴された。
 これまで何回か証人が証言した。焦点は原発付近の海での最大15・7メートルの津波予測だった。概ね旧経営陣には不利な証言だったと考える。
 聖書の時代なら、3人一致すれば罪が立証された。しかし日本ではそうは行かない。地裁で有罪だったとしても、高裁、最高裁にまで進めば、政府に不利な判決は却下されるのがオチだ。ちなみに1956年の映画『真昼の暗黒』には、「まだ最高裁がある」という有名なセリフが出ていた。
 再度言うが、今そんな事はあり得ないと思う。現在の最高裁長官は安倍首相が決めた大谷直人氏。僕の出身高校から東大法学部に進んだ。全然期待していない。幾ら人柄が良くても、政府の意向に反する判決を出せば、すぐ左遷させられるからだ。
 案の定、旧経営陣は皆罪状を否定した。真相は闇の中、朝日新聞では芥川龍之介を引いて、「真相は藪の中」と表現していた。実際私たちには分からない。その場合イエス・キリストが言われたように「さばいてはいけません。さばかれないためです」(マタイ7:1)というのが、信徒の立場である。
 一般論で考える。その旧経営陣の一人が「当事者として深くおわび申し上げたい」「誠に申し訳ございませんでした」と謝罪したそうだが、ならば事故の責任を潔く取るべきなのが条理ではないか?
 唯一全知の神だけが本当の事を知る、正しい裁き主である。私たちはその神を畏れ、その神の正しいさばきを待ち望む。