ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

もう一つ高木仁三郎氏の最後のメッセージ

 前回高木氏のがん闘病記について触れましたが、もう一つその全集には私たちの為に残された短いメッセージがありました。題名は「友へー高木仁三郎からの最後のメッセージ」です。
 たったの2ページですが、胸を打つ中身の濃い内容でした。しかも文章には新約におけるイエス・キリストの十字架の場面から引用したと思われる箇所がありました。その意味でも感動的な「遺書」でした。
 死を覚悟した高木氏は大袈裟な葬儀をやらずに、適当な時期に「偲ぶ会」をやって欲しいと遺言しました。
 そしてまず多くの方々の支えによって「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹出来た事で、「皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました」と感謝の言葉を述べています。これは今わの際にいる多くの方々が発する言葉ではないでしょうか。
 その後ですが、せめて「プルトニウムの最後の日」位は目にしたかったと述べて、少し残念に思っています。しかし気を取り直して「でもそれはもう時間の問題でしょう」と続けました。高木氏の知らない日本の原発事故の惨状と、それにもかかわらず原発を推進しようとする政府、東電その他の人々の事を思うと、私にはとても時間の問題とは思えません。しかし彼らの圧倒的な権力を考えると、キリストが十字架で言われた「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」という執り成しの祈りを捧げるほかありません。彼らは本当に自分たちがどんなに恐ろしい事をしてしまったかという自覚が全く無いようです。この執り成しはこの世では無駄かもしれませんが、悔い改めなかった彼らへの鉄槌は必ず下されます。
 高木氏は原子力時代の末期症状への危惧の念を抱いたまま逝ってしまいました。後は私たちに託されました。氏は英知を結集してその末期症状に終止符を打って欲しいと願望を伝え、どこからか見守っているというメッセージも付け加えています。

 私が氏と新約との関わりを思ったのは、最期のお願いの箇所からです。「私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません」。自分の死で悲しむより、もっと反原発の為に行動して欲しい。自分の死を乗り越え活動して欲しいという希望のメッセージです!イエス・キリストも、十字架での死は自分の望んだ事であり、それで十分である、エルサレムの人々よ、私の事で泣くな、私を十字架につけたあなたとあなたの子孫の罪の為に嘆き悲しめと言われました。やがて必ず裁きがあるからです。
 「しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。『エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい』」(ルカ23:28)。
そして最期の一筆、「高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出しくれながら…」。イエスと共に十字架につけられた二人の強盗のうちの一人も悔い改めて、イエスを救い主として信じましたが、その時にこう告白しました。
 「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」(ルカ23:42)。
 この強盗は苦悶のうちに死にしましたが、その瞬間イエスと共に安らぎの場であるパラダイス(又はアブラハムのふところ)に下って行きました。
 私は前回のブログで高木氏が冥界の王プルトーンの所に下ったかも知れないと推測しました。しかし絶筆がこちらだとすれば、もしかするとルカ伝のこの箇所からキリストを信じたのではないかと思いました。闘病記より比較にならないほど明るい筆致なのです。ならば私が天の楽園に召された時、高木氏とも会えると思いました。