ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日本人は何事も忘れやすいのか

 4月20日朝日新聞夕刊の連載コラム「東日本大震災の衝撃 専門家に聞く」では、京大原子炉実験所助教授の今中哲二氏への聞き取りがされていました。
 今中氏は長くチェルノブイリ原発事故の調査を続けており、この3月には福島県飯館村でも放射能汚染の現地調査を実施した活動家です。
 今中氏の専門は原子炉工学で、阪大、東京工大で学んだ後、京大原子炉実験所に助手として入り、現在に至っています。1950年生まれとありますから、日本がちょうど高度成長時代に入る頃、原子力が工学部門でも最も魅力的な学問の一つに見えた頃だったでしょう。
 今中氏自身が「『夢のエネルギー』と期待された原子力にひかれて研究の道に入った」と回想しているくらいです。
 しかし京大助手就任から3年ほど経過した1979年、米国のスリーマイル島原発事故が発生し、氏の抱いていた「安全神話」は脆くも崩れました。そしてその後7年経て起きた旧ソ連チェルノブイリ原発事故で、それは完璧に「地に落ちた」のです。
 特にチェルノブイリでの調査に参加した氏は、故高木仁三郎氏が設立した原子力資料情報室からその報告書を出しています。氏が政府や東電に真っ向から対立する「戦う科学者」であるのは明らかです。
 氏によれば、こうした2つの重大事故が起きてから、欧米では「このままではやばい」と対策を強める雰囲気が生まれたそうです。そこの研究者たちはいつまでも終息しない現場の事を忘れる事なく、原発のリスクを警鐘し続けています。彼らは歴史の教訓を決して忘れていません。ですから同じ4月20日の夕刊では、福島原発事故を踏まえ、もう一刻の猶予も許されないと、米国は原発増設計画を断念しました。
 翻って日本ではどうなのでしょうか。今中氏は「自然災害の多い日本こそ、明日はわが身と受け止めて原発のリスクに正面から向き合うべきだった」と、痛恨の思いで述べています。氏の目からすれば、日本の原発推進者たちは全く歴史から学んで来なかったし、深い反省の念もなかったので、もはや手遅れ、これからは放射線と共存するしかない時代に入ったのだと断言しています。
 同じ事は岩波の雑誌『世界』でも、地震学者石橋克彦氏が述べています。「失敗を率直に認めない態度によって、(太平洋)戦争も原発も、さらなる失敗を重ねた。そして、多くの国民を不幸と苦難の底に突き落とした{落としつつある}」と。この石橋氏の論考はブログで別項として述べるつもりです。
 聖書の主なる神は指導者モーセにこう言われました。
 「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい」(申命4:9)。
 「あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい」(申命6:12)。
 現在のイスラエルにおけるユダヤ教信徒たちは、紀元前1491年の出エジプトの記事を決して忘れていません。そこで苦杯を舐めたからです。
 かたや彼らとよく似たところのある日本人は、何と重大事件に対して忘れっぽく、その教訓を学ばない民族である事でしょうか!