ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

失敗からの回復

 「失敗学」で有名な畑村洋太郎先生の『回復力 失敗からの復活』を読みました。畑村先生ご自身も失敗と挫折、うつなどを経験された事がありますので、内容は説得力があります。
 しかし全体を通して見ますと、この本は今問題になっている東電責任者たちをも利する効果があります。原発事故の備えにおいては、今回大きな失敗があったのは事実ですし、実際その事でめげている人々もいると思います。しかし大部分の幹部に誠意が見られず、この本にもあるように失敗に際して「逃げる」「他人のせいにする」という事を、会見から感じてしまうのは、私だけではないはず、当然被災地の人々も思っているでしょう。
 ところでこの本の第4章では「失敗後の対処」という題で、そのコツが伝授されています。
 まず大失敗を起こしても人々は概してそれを認めたがらないものですが、畑村先生はそれを素直に認める事から、次のステップに進めるという点を示し、それに対処するには何が大切かという事を説いています。それには失敗の評価が必須です。
 第一に「自分の評価」です。自分の評価で失敗を見る場合、「その評価はどうしても甘いものになりがちです」。当然でしょう。それゆえ自分の評価はえてして「過小評価」になりやすいと畑村先生は言われます。原発事故発生時点で東電首脳らはその甚大な災害を過小評価した為、チェルノブイリ級である事の公表が大幅に遅れました。
 第二に「他人の評価」です。人との関係の中でつくられている社会の価値観に基づく評価という点では、たぶんに「過大評価」になりやすいと畑村先生は言言われます。失敗の結果や原因を実際より大きなひどいものとして見てしまいます。ですから「世論を扇動するようにマスコミが騒ぎ立てることがあります」。現在起きている原発被害や反原発運動の評価には、極めて慎重で地道な作業が必要でしょうが、圧倒的な被災地の惨状を考えた時、現在のマスコミが騒ぎ過ぎている事はないと思います。事は放射能などといった長期に及ぶものが多いですから、むしろマスコミは東電や政府がひた隠しにしているような事を抉り出す使命がありそうです。
 第三にこれが日本では最も欠けている事ですが、自分の評価、他人の評価を超越した「絶対的評価」「絶対基準」です。それこそが神の基準です。と言っても日本では人間の作った八百万の神々の書き物に絶対的な基準などありません。畑村先生が言われるような、聖書に基づいた絶対的な価値観です。「神はその人の一挙手一投足を常に見守っている存在である」と畑村先生は言われますが、その生きておられる神は遍在であり、欧米に限った事ではなく、日本においても働いておられるのです。その神が事故の責任者に裁きを下し、被災者に対して救いの愛の御手を差し伸べておられます。
 「あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます」(詩139:3)。