ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

子どもの臓器移植手術の問題点

 東日本大震災の記事が新聞の大半を占めていた2011年4月初旬(12日)、死亡した15歳未満の少年の親が臓器提供を申し出て、国内としては初めての臓器移植手術が行なわれました。移植患者は阪大病院などで心臓、腎臓、膵臓、肝臓の提供を受け、それぞれ無事に終了したようです。
 この子どもの臓器移植について、5月2日の朝日新聞では、神戸生命倫理研究会代表医師の額田勲氏が投稿し、様々な問題点を指摘しています。
 まず第一に臓器提供者の死因が明確でないまま、移植手術が急がれた点です。ネットで検索すると、この少年は交通事故で脳死状態に陥ったそうですが、その時の状況が詳細に調べられていないようです。法付則第5項では虐待による飛び込み自殺などが想定される場合、脳死判定を行なってはならない事になっていますが、額田医師はその点、警察や病院の法医学などの関係者が十分に確認したのか憂慮しています。大塚俊哉都立多摩総合医療センター心臓血管外科部長も、週刊文春の記事を引用しながら、大いに疑問視しています。新鮮な臓器をという事で、医師もコーディネーターもあせっていたのでは?
 第二に額田医師は大人の場合以上に難しい脳死判定が正しく行なわれたのかという点で、懸念を表明しています。田中英高大阪医科大准教授も「小児の場合、脳死判定が100%確実ではないことや、判定後も1〜2カ月生きる可能性がある」と述べ、この重大な情報がまだ広範に共有されていないと言っています。
 するとどういう事になるでしょうか。川見公子臓器移植法を問い直す市民ネットワーク事務局長は、臓器を提供する側の少年の「親が子どもの死を早める決断をすることになる」と述べ、基本的に少年からの臓器提供はすべきでないと言っています。ネットでは中外日報が社説でも、脳死による臓器摘出を殺人と見なさない為に、それを合法的に「死」と決めた事に疑問を呈し、本人に代わる親の決定は、もし法がそのように改正されなければ「殺人行為」であるという事を示唆しているように見えます。佐地勉東邦大医療センター大森病院医師は、何人もの子どもの命を助けるために立派な決断をしたと、臓器提供を決めた親をたたえる言葉が一言もない事を嘆いていますが、そもそも人間である議員が法改正をしなければ「殺人行為」を行なった事になる親をどうして称えなければならないのでしょうか。何人もの子どもの命を助けた?それこそ美談の陰に隠れた罪です!
 第三に特今回臓器提供を受けたのは子ども・大人を含みますが、心臓移植手術を受けたのは子どもだと言われています。その場合額田医師は「致命的な慢性拒絶反応は…医学的に打開(治療)の糸口が見いだせず、移植患者に厳しい現実を突きつけている」と述べています。それが1歳未満の幼児だと、免疫抑制剤の副作用で小児がんが相当発生するそうです。ですから「数ヶ月から数年にわたる闘病の果て、物心がつき始めた幼稚園、小学校生活のさなか、過酷な生を終えることもある」と、額田医師は断腸の思いで語っています。移植患者もその親も突き詰めてそれを考えた事がありますか。
 臓器移植について以前聖書の観点から述べた事があります。勿論聖書の時代「脳死」問題など存在せず、心臓死をもって肉体の死とされていたのは言うまでもありません。そしてその死を決定付けるのは、主の御手のわざです。その時は主が決められるのであって、人間が勝手に決めるなら、それは「殺人」です。ですから改正法下で移植対象の幼い患者もその親も、臓器提供者の親も、それをよく考えるべきです。家族全員が信仰をもって主により頼み、天国で永遠に暮らす事のほうがどれほど大切か、聖書から学んでみて下さい。
 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある…」(伝道者の書3:1−2)。