ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

認知症ケア

 サイエンスデイリサイト(英文)やフィズオルグサイト(英文)を見ますと、毎日更新されていると言ってもよい程で、科学の各分野についての多彩な研究内容が紹介されています。生物や医学の分野では特にアルツハイマー病の最新の研究成果がよく載っています。でもその病を含む認知症のケアという実践面は科学の領域外という事で、なかなか良いサイトが見つかりません。
 そこで今年4月に出たばかりの岩波新書『ルポ認知症ケア最前線』(佐藤幹夫著)を読んでみました。
 日本全国で行なわれている多様なケアを、医師や看護師や施設長などからの発信で知り、実に興味深く一気に読んでしまいました。
 序章は勿論、第1章の「もの忘れカフェ」の挑戦から、私の知りたいと思っていた事(幻覚や徘徊、もの忘れへの対応の仕方など)を多く学びました。第4章の幼児たちの介護力は、私には全く驚きでした。幼児に認知症のお年寄りが関心を持ち、かまう事によって元気を得ているとは!
 そして介護保険制度発足の頃あまり話題にもならなかった第10章の、家族介護者はなぜ追い詰められるのか、という深刻な問題への取り組みには、遂にここまで来たかという感慨を抱きました。
 私自身は自宅近くにある訪問介護ステーションの利用が出来、幻覚症状から始まった母親のケアをしてもらい、自分も看護師さんから様々な技術的な教えを受け、ケアマネージャーからショートステイなどの利用の勧めなどもあって、さほど追い詰められたという事はありませんでした。
 でもそれがもし私一人だけだったらと思うとぞっとします。追い込まれて虐待などという事もあり得たと思います。実際召天3ヶ月前、自分の症状の訴えがよく出来ない母の事を誤解し、大失態を演じてしまった事があり、8年近くたった今も拭い去る事が出来ず、天を仰いで赦しを乞うという時が多々あります。もっと私自身のケアをしてくれる人が身近な地域に多くいたらと思いました。ですから介護する者自身へのケアはとても大切だと痛切に感じます。
 この章を書いた牧野さんはまた「長い間介護をしてきたために、未婚のまま現在まで過ごすことを余儀なくされた人が少なくない」という現実を示していますが、それはまさにこれまで表面化して来なかった事です。勿論女性が大半でしょうが、私も40年近くの見守りとケアで、その機会を逸した数少ない男性のうちの一人です。
 では聖書の世界ではどうだったのかと考えて見ますと、救い主イエス・キリストが地上に来られた頃、貧困化していた群衆が数多くいました。その中に認知症重篤な病、身体障害を持った人々もいました。とても一人または家族だけで負いきれる問題ではありませんでした。
 しかしそうした人のケアの為に、紐帯を強くしていた地域共同体があったと想定される事例があります。
 「するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした」(ルカ5:18−19)。
 ここには脳出血の為身体が麻痺して寝たきりの人を、その家近くで世話していただろう男たちが、救い主イエス・キリストのみもとに連れて来た記事が活き活きと描写されています。イエスは何とかして欲しいと願うこの男たちの熱心な信仰をよしとされ、中風の人が癒されたのは言うまでもありません。
 そのように究極的な癒しはイエスがなされますが、それまで病人のケアを家族だけでなく、周囲の人々も引き受けていたのです。