ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

オサマ・ビン・ラディンの罪状を赦すべきか

 5月21日のタイム誌電子版(英語)は、「イエスだったらどうされただろうか。フロリダの教会は日曜日オサマ・ビン・ラディンの為に祈る」という題で、アミー・サリバン氏が寄稿しています。
 オサマ・ビン・ラディン容疑者は、いわゆる9・11事件を企画遂行させた首謀者と言われています。その時崩れ落ちたツインタワー等で亡くなった人々の数は約3千と推定されています。直接の下手人ではないにしても、米国の敵とされ、その隠れ家の捜索が続き、遂に5月2日米軍特殊部隊により殺害されたと報道されています。
 この人物私はイスラム教の過激派の一人と考えていましたが、ネットなどを見ますと、母親がユダヤ人で、父親は出身国がイエーメンでそこには相当な数のユダヤ人が住んでいるそうです。すると彼は幼い時ユダヤ教の教えを受け、それからイスラム教に「回心」したのかも知れません。真実は不明です。
 いずれにせよ、救い主イエス・キリストを信じたキリスト教徒ではなかったとの事です。するとその死が確実なら、彼はハデスと呼ばれる所に下っていった筈です(「金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら…」=ルカ16:22−23)。そして終わりの時に「死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である」(黙示20:14)と定められています。これは聖書にある厳然たる事実です。
 一方カトリックはこの根本的な聖書の教えを変えて、「煉獄」という教義を勝手に考え出しました。それは「死ぬ時に小罪を持ち、罪の償いを果たさないままの霊魂が、その罪を償うために行く場所」とキリスト教辞典にあります。煉獄ではその霊魂は自分で罪を償う事が出来ない為に、生きて地上に住んでいるカトリックの信者が祈りなどをする事により、煉獄から救い出せるとしています。
 ですからフロリダのカトリック教会では熱心に祈りを捧げています。
 一方そうでない多くの米国人たちは、ニューヨークのツインタワーなどに集まり、ビン・ラディンの死に対して「歓呼」を持って応えたと報じられています。その反応が正しいかどうかは、聖書の箴言24:17「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない」というみことばが基準となります。同じような言葉が並ぶ現代ユダヤ教主要教派の聖典「タルムード」も、タイム誌では紹介されています。
 また自ら復讐してはならず、「赦し」の祈りをすべき事をタイム誌は勧めているようです。
 救い主イエスは十字架上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と祈られました。
 してみると、私たちのすべき事と言えば、生きているビン・ラディンの家族への赦しと慰めの祈りであり、テロで死んだ人々の家族や親類の心の癒しの為に祈り続ける事ではないでしょうか。あくまで「死者への祈り」ではありません。