ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

なぜニーチェの本に人気が出たのか

 2011年5月23日の朝日新聞の「文化の扉」欄では、哲学者ニーチェが取り上げられていました。
 ニーチェの本が今良く売れているそうで、私には不思議な気がします。かつて大学の教養部に居た頃、中央公論社から全66巻の「世界の名著」シリーズが刊行され始め、その第一巻がニーチェでした。「ツァラトゥストラ」とか「悲劇の誕生」などが収められていたと思います。この企画、当時としては極めて斬新で、私もそのほとんどの巻を購入して読んだような気がします。現役で受かったW大学文学部の選んだ学科が哲学だったので、このシリーズに出て来る思想家たちのものは全て読もうと思っていたのでしょう。
 しかしそれから間もなく母親が狭心症で倒れ、介護していた私も大病してしまい、読書どころでなくなったので、大半を売ってしまい、現在自宅に残っているのは、愛読書である「パスカル」も含めて数冊に過ぎません。
 ニーチェの本の内容はよく覚えていません。あまり印象になかったのでしょう。ところが大病を得てから現在のキリスト教教職者となり、また別の意味でニーチェに関心を持ちました。それは勿論「神は死んだ」というあまりに有名な言葉です。それは今手元にない「ツァラトゥストラ」の中に出て来ます。
 「聞け、私は君達に超人を教える。超人は大地の意義である。君達の意志は、こう言うべきである、超人が大地の意義であれ、と。兄弟たちよ、私は君達に切望する、大地に忠実であれと。君達は地上を超えた希望を説く人々を信じてはならない。彼等こそ毒の調合者である。かつては、神を冒涜することが最大の冒涜だった。しかし神は死んだ。そして神とともに、それら冒涜者達も死んだのだ。今日では大地を冒涜することが、最も恐るべきことである。知り得ないものの内臓を、大地の意義以上に崇める事が…」(たぶん手塚富雄訳)。
 勿論他の本でもニーチェキリスト教を辛辣に批判しています。ディオンのブログ「哲学するサラリーマン」から引用します。
 「もし、弱者が、勝ち負けの基準そのものを作り変えて、負けることこそ真の勝利であるといった転倒した価値意識を作り上げることができるとしたら、すなわち『負けるが勝ち』という倒錯的なルールを心の底から信じることができたなら、弱者はもはや敗者とは言えなくなるのです。相手にはどんなに逆立ちしても勝てないと悟った弱者は、強者に対する嫉妬、恨み、憎しみの感情から、このような価値反転の秘策を思いつき、そこに唯一の勝機を見いだします。このような奴隷による想像上の復讐こそ、ニーチェが『ルサンチマン(怨念)』と呼ぶところのものです」。
 朝日ではこの文章の最後に出て来る「奴隷」と関連づけて、「キリスト教のことを、弱者が求める『奴隷道徳』から生まれた『奴隷一揆』だと呼んだり…」と書いています。改めてヘエ〜と思いました。聖書から照らして、ニーチェの思想は全く相容れません。神は死んでおらず、生きて今も働いておられます。
 「それゆえ、――わたしは生きている。神である主の御告げ。――あなたはあなたのすべての忌むべきものと、すべての忌みきらうべきことで、わたしの聖所を汚したので、わたしはあなたを取り去り、わたしはあなたを惜しまず、また、あわれまない」(エゼキエル5:11)。
 従って自分は偉いと誇ったニーチェは神の裁きを受け、結局発狂して悲惨な最期を遂げました。
 よってニーチェブームだと言っても、安易に本を購入せず、永遠に行き続けるみことばである聖書を読んでは如何ですか。