ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発関連業界から多額の寄付金を受けていた原子力委の3人の大学教授

 2012年2月7日の朝日新聞は「原子力委の3人に1800万円」という見出しで、業界から寄付を受けていた3人の大学教授の事を詳しく記していました。
 その大学教授とは東大の田中(知)教授(特に原子力学会長の肩書きがある人です)、阪大の山口彰教授、京大の山名元教授です。
 東電福島第一原発事故後の国のエネルギー政策を左右する原子力政策大綱を決めるのが、内閣府原子力委員会です。大綱は2005年に決定され、「原発の推進」をうたっていました。それが原発事故前の2010年に見直され、新大綱が作成される事になって、2012年8月に発表される予定です。
 ところがこの会議の委員23人の大半は相変わらず原発推進派で、私も読んだ事のある『粉飾国家』など多数の経済学書を精力的に出している慶大の金子勝教授(委員の一人)は、「脱原発の委員は少なく、人選の段階で結論を出しているようなものだ」と批判しています。
 3人の原子力委員へのインタヴューでは、3人ともこの寄付を認めたうえで、「会議での発言は寄付に左右されない」などと話していたそうです。この寄付は研究助成が名目で、奨学寄付と呼ばれ、企業・団体が研究者を指定して大学の口座に振り込む事になっているそうです。このお金については企業・団体へ使い道の報告義務はないそうで、研究者にとっては非常に甘い汁となっています。
 寄付と銘打っていますが、実質は「わいろ」とあまり変わりないのではないかと思います。合法的な処理なので、上記のような会議での発言は寄付に左右されないといった軽い発言が出て来るのでしょう。
 でも実際そうなのでしょうか?
 聖書では早くも旧約の十戒に続く律法の箇所で、明確に次のように述べています。
 「わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を、盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである」(出エジプト23:8)。
 これを見ますと、聖書の神はその民がさばきを曲げて賄賂を受け取る危険性を察知し、律法に記されたのだと思います。公平な裁判官である神にすれば、このわいろの授受は、その聖なる御名を汚す事になります。
 同様に原発推進業界からの多額の寄付は、それを受けた学者の目を盲目にし、神も想定されなかった原発ゆえに反原発を唱える正しい人の主張をゆがめる事になりそうです。
 この3人原発推進派なので、寄付金を出す側の意図を汲み取り、断固退ける気持ちがない、それだけ「罪深い者」だと思います。まるで罪の意識がないと見做されても仕方がないでしょう。
 「律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです」(ローマ3:20)。
 私たち信徒は、例えば上記出エジプト記における律法のみことばだけ示されても、罪の意識が生じるだけで、レベルは3人と大して変わりありません。そこに真の解決はありません。しかしイエス・キリストを信じる信仰により、初めて金銭を愛する事から解放され、神を愛する事を第一にします。すると…。
 「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません」(ヨハネ第一5:3)。
 神のご命令を進んで守る者とされます。