ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

私たち素人は専門の玄人たちの言い分に盲従してよいのか

 朝日新聞6月2日号のインタビューのページでは、複数の記者が滋賀原発2号機をめぐる訴訟で、その運転差し止めの判決を言い渡した元裁判長井戸謙一さんに、踏み込んだ質問をしていました。
 井戸さんは金沢地裁の裁判長の時に、その判決を言い渡したのですが、残念ながら高裁で逆転の判決が下され、そのまま最高裁で確定してしまいました。従って現在稼動中の原発に対する井戸さんの画期的な判決は、唯一の事例となっています。
 この時の原告団は地域住民と弁護士たち「素人」が主体で、原発の専門家は入っていなかったと想像されます(ネットでは分かりませんでした)。そして勿論井戸裁判長も「素人」でした。
 それに対して北陸電力被告団は勿論原発の「玄人」だったでしょう。今度の東電幹部の発言を見ていても分かりますが、「素人」に何が分かるものかといった、横柄で高飛車な態度に終始したでしょう。「国の言うとおりやっているんだからどこが問題なのか」という姿勢だったと井戸さんは回顧しています。
 ネットで北陸電力の当時のコメントが公開されていました。「…国の最終検査に合格して営業運転を開始しており、現在も安全・安定運転を継続している。志賀原子力発電所2号機の安全性は十分に確保されており、今回の判決をもって運転を停止することはない」。「素人」らの主張は問答無用、まだ高裁・最高裁が残っている…。それがありありと感じられます。井戸さんが言うように、「玄人」であろうと、もっと「謙虚な姿勢になって当然だと」思います。
 続けて井戸さんは「甘い想定で『安全だ、安全だ』と声高に言っても、その主張に乗るわけにはいきません」と言っています。このあたりは聖書の「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている」(エレミヤ6:14)を想起させます。
 こうした国家権力を後ろ盾に原発を推進して来た「玄人」の隠微な脅しには、「素人」はたじろぐし、まして井戸裁判長も相当な「プレッシャーを感じていた」と、当時の心情を吐露したのはけだし当然でしょう。
 その北陸電力も東電も、日本中の「素人」たちによって既に「裁かれています」。最終的には神が厳しく裁かれるでしょう。
 振り返って人々の知恵に優る神なるイエス・キリストでさえ、人のかたちをとって世に来られた時、パリサイ人や律法学者といった「玄人」、それに郷里の相対的に地位の高そうな人々は、「この人は大工の息子ではありませんか」(マタイ13:55)と軽蔑し、「素人」のくせにとみくびったに違いありません。
 でも多方面にわたる「玄人」など存在しません。彼らに謙虚さは必須です。また「素人」も衒学的に振る舞うべきではありません。でも時として「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです」(マルコ10:31)とイエス・キリストは言われました。玄人と素人の逆転です!
 全ての人を賜物は別でも平等に造られた救い主は、最後に世を正されます。その時は「誇る者は主を誇れ」(コリント第一1:31口語訳)と命じられた事が完全に成就します。