ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

脱原発を決めたドイツのメルケル首相

 ブログ仲間の方が推薦して下さった熊谷徹著『脱原発を決めたドイツの挑戦』を読みました。新書ながら分厚くて、別の選択肢としてのエネルギー革命論などはざっと読む位で終わってしまいました。しかし第一章の「なぜドイツは原発を捨てたのか」は、日本との比較で大変興味深く、ブログでもその秘訣みたいなものを探ってみようと思いました。
 実はドイツで最初に脱原発路線を確定したのは、メルケル首相ではなく、社会民主党党首であり、首相だったゲアハルト・シュレーダーと、連立を組んだ「緑の党」です。
 ですからキリスト教民主同盟所属当時および首相になってからのメルケル氏は、原発推進政策を採っていました。その推進活動の頂点が2010年でした。

 ところがその翌年福島で原発事故が起きたのをきっかけに、氏はこれまでの政策を百八十度変換させました。どうしてそんな事が出来たでしょうか?
 まず第一にメルケル氏は旧東ドイツのカールマルクスライプツィヒ大学で物理学を専攻し、優秀な成績で卒業、東ベルリンにある科学アカデミーに就職してからも研究を続け、理論物理学で博士号を取得した人です。ですから当然原子核物理学にもある程度通暁していたはずです。ゆえに福島原発事故を受けてその長期に及ぶ危険性を熟知し、「国民の安全を守る責任がある首相としては、原子力を使い続けることはできない」という結論に達しました。
 第二にメルケル氏の所属するキリスト教民主同盟と提携している緑の党の勢力を無視出来ないという事情がありました。緑の党は1980年に結成され、当初から「エコロジー」を生活の中心に据え、全原発の即時停止を求めていました。実際3・11から16日後、ドイツ南西部の州で選挙があり、緑の党が圧勝し、キリスト教民主同盟は惨敗しました。それを見たメルケル首相は、今後も連立を組む以上、緑の党の主張を受け入れなければならないという政治的な思惑が生じたわけです。

 第三に福島原発事故を受けて、今後ドイツはどう進めばよいかについて、2つの諮問委員会に提言を求めた事が挙げられます。1つは原子炉安全委員会、もう1つは原子力技術の専門家、電力会社の関係者が一人も入らない「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」です。原子炉安全委員会は勿論専門家集団から成り、安全性・耐久性を強調する鑑定書を提出しました。
 一方倫理委員会は17名の構成員の中に、カトリック教会幹部、社会学者、哲学者らが含まれていました。彼らは活発な討論を行い、最後には一致して、一刻も早い原発の廃止を提言書に盛り込みました。メルケル首相の偉いところは後者の提言を受け入れた事ですが、それには福島原発事故当時頻繁に登場した原発御用学者たちのうさんくささを察知していた事も挙げられるのではないかと私は推測しています。
 第四にこれは順序が異なりますが、メルケル首相の父親は福音主義教会(プロテスタント)の牧師で、当然娘にその信仰を説いて来て、娘も信仰者になったと推測されます。
 「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています」(テモテ第二1:5)。
 現世の人々は「悔いる」事はしますが、「悔い改める」事は、神の御力なしには絶対不可能です。向きを変えて神の方向へ進む事を意味しているからです。ギリシャ語メタノエオーは「心を変える」ですが、「過去の罪を嫌悪して、心から行いを改める」事です。
 私はメルケル首相が単なる政治的打算とかいう事ではなく、福島原発事故を見聞きし、信徒としてそのように悔い改める事が出来たからこそ、原発廃止の為の指導権をとれたのだと考えています。