ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

藤原道長の『御堂関白記』に書き加えられた別の日記の一部

 藤原道長平安時代中期の公卿です(966〜1027年)。山川日本史によると摂関政治の項の中に出て来ます。「30年にわたって朝廷で権勢をふるった」と書かれています。
 その小右記という書物に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という歌がありますが、上記のような履歴がある人物だからこそ、そのように「威張る」事が出来たのでしょう。何だか聖書のダニエル記に出て来るバビロン王ネブカデネザルの言葉「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか」(ダニエル4:30)を想起させます。
 道長が33歳から56歳に至るまで書き綴った日記『御堂関白記』は、1951年国宝に定められたとウイキペディアにあります。6月11日の朝日新聞では、それがユネスコの世界記憶遺産として登録されるべく、文部科学省が推薦しているそうです。現存する世界最古の自筆日記となっており、平安中期の政治や貴族の生活をよく知る事の出来る超一級の史料なのだそうです。本好きな私ですが、その内容からすると、ビンボー人として興味をそそられるものではなさそうです。
 ではなぜ朝日の記事に目が留まったのかと言いますと、この欄の題に「最古の自筆日記に加筆跡」とあったからです。
 国宝としての価値はそれが無傷で手をつけられていない事にあると思います。ところがその日記の1008年秋冬巻の紙の裏に、道長の子孫にあたる近衛道嗣の日記の一部が書き込まれていたのです。犯人は江戸時代の近衛信尹という道嗣の子孫である事が分かりました。
 良く見つけたものだと思いますが、調査をした日文研の倉本一宏教授は、理由は不明であるにしても、道長の日記を改ざんする意図はなかったとしています。それが本当かどうかは別にしても、この大事な日記につけ加えがあったという事は、はなはだ残念です。
 実は聖書についてもその事は言えます。既に旧約のはじめの5書のうち申命記にはこうあります。
 「私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない」(申命4:2)。
 神はご自分の聖なる書物が一字一句も違わず人々に伝えられる事を至上命令としておられました。人間がそれに書き足したり、省いてしまったりする事は厳禁でした。ですから新約聖書の最後の黙示録にはこうあります。
 「私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる」(黙示22:18)。
 つまり人間による聖書の改ざんについては、神はその者を必ず罰されるという事です。しかし特に現存する新約聖書ギリシャ語写本のうちには、そうした例が多く、ネストレなどによるギリシャ語本文と、公認本文の2つの潮流が今でも続いています。私が可能な限り調べたところでは、その違いが聖書の教義を大幅に変えるような事態には至っていませんが。