ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

賀川豊彦著『乳と蜜の流るゝ郷』の果たした役割

 加藤陽子佐高信共著『戦争と日本人』を図書館で借りて読みました。この対談の話題は明治以後から日本の敗戦の頃までと思っていましたが、意外にも現代の人々にも触れられており、その現代を読み解く為にも歴史から学ぶ事の大切さを実感させられました。
 加藤教授については以前のブログでも書いた事がありますが、神奈川の私立栄光学園の中高生たちが加藤教授の有意義な質問に対して鋭い回答をしていたので、舌を巻いたのをよく覚えています。今回は評論家としても名高い佐高信氏という事で、どう話が弾むのかと思いつつ読みました。結果的には佐高氏も歴史に対して相当深い造詣がある事を知りました。こうした対談を新書に纏めたものは面白いです。企画が当たれば大ヒットになるでしょう。
 この中身から学んだ事は多くあります。一つは「不幸の均霑(きんてん)」という加藤教授の造語です。「皆さん等しく不幸です」という意味合いです。それが今読んでいる赤木智弘著『若者を見殺しにする国』に収められている、有名な「三一歳フリーター。希望は、戦争」の発想と似ているというくだりを見て、なるほどと思いました。
 でも今回は第四章「草の根ファシズム」にある「乳と蜜ーキリスト教的思想のもたらしたもの」から特に学びました。
 これは戦前の満州移民の話です。五・一五事件で暗殺された首相犬養毅は、生前地方の青年たちを対象に何度か講演を行なって来たそうですが、その地道な社会教育が功を奏し、長野県は日本一の満州開拓移民を送り出したそうです。そのあたりが嚆矢なのでしょうが、これはよく判ります。4年ほど前に居た茨城の鉾田には陸軍の飛行場がありましたが、戦後それを壊して肥沃な農地にしたのが、満州から帰国した長野出身の人々だったからです。ですからそこの自治会組織に加入した時、地元の茨城弁がほとんど聞かれませんでした。
 それはとにかくさらなる満州移民を促進したのが、雑誌『家の光』に載った連載小説『乳と蜜の流るゝ郷』(賀川豊彦著)とは知りませんでした。彼はキリスト者として有名です。従ってこの「乳と蜜の流るゝ」という言葉が聖書から採られたのはむべなるかなです。
 「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ」(出エジプト3:8)。
 実際この小説を読んだ多くの青年たちが、神の約束された広大な地カナンに比せられる新天地満州へと「出日本」したのでした。ここ日本にいてもあまり希望がない(赤木氏の上著参照)、「もっと夢のある地へゆこう」という事になりました。キリスト教人道主義が背後にあるわけですから、若い世代は我も我もと満州に向かったのでした。
 しかし聖書のカナンが移動したイスラエルの簡単に占領出来る地ではなかったように、満州も「乳と蜜が流れる」安住の地どころか、皆凄い苦労をします。そしておよそ十五年後には、ソ連の突然の参戦で悲劇的終末を迎える事になりました。約200万人もいた日本人は命からがら逃げ帰りました。その様子を活写したのが、藤原てい著『流れる星は生きている』でした。
 反骨の東大教授加藤陽子氏の出される本は、全て面白い。これからも読んでゆきたいと思います。