ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

米空軍教育訓練司令部が20年以上にわたり聖書の恣意的な解釈を伝授

 8月4日の朝日新聞は、1面で「群立保持へ宗教動員」、3面で「米空軍、核使用に聖戦論」という見出しで、空軍教育司令部が過去20年にわたり、特に核関係に携わる将校たちに、ありもしない聖書箇所を改変したりして教えていた事を報じました。
 進化論を奉じる朝日が「聖書」やその「創造論」などに対して、いつも偏見のかかった報道をしているのはおなじみの事ですが、それはとにかく今回明るみに出た問題は、さすがに数十年聖書を学び教えて来た私もあきれてしまいました。ちなみに朝日報道を見た某川柳家は「キリストも一肌脱いだ核使用」などと揶揄していますが、今度の記事も、誤解のないようもっと慎重に書いてもらいたかったです。
 信仰をもって聖書を読む事をせず、勝手に都合のよい箇所だけを取り出し、且つその表現を変えて教えていた事など全くナンセンスですが、この末の時代そういう事はたぶんにあり得ます。聖書の預言通りです。以下は一例です。
 「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなった…」「彼らが神の真理を偽りと取り代え…」(ローマ1:21,25)。空軍の教官はおそらくそうした類の人々だったでしょう。
 だいたい核を含む大量破壊兵器を使用する「正しい戦争、聖戦」などを正当化する為に聖書を持ち出す事など、敬虔な信徒にとって迷惑千万です。米国は歴史が浅くて、これまで何度も戦争を繰り返す極めて好戦的な国家でした。トルーマン、ブッシュ、オバマなど歴代の大統領も正義の戦争を前面に掲げましたが、それは真のキリスト教信徒のする事ではありません。良く引き合いに出される原理主義的な宗教保守層の人々にしても、聖書の教えを厳密に守っていると言いながら、合衆国憲法に明文化された「政教分離」の原則に違反しています。米国の戦争を押し進めようとする人々は、クラウゼビッツの「戦争とは、他の手段もって継続する政治の延長」「自国の意志を相手に強制する暴力行為」をかなり信奉しているようですが、もし彼の古典的な本が今も有効だとすれば、戦争と政治は密接な関係があり、宗教とは無縁です。それなのにキリスト教原理主義派は、ブッシュ政権の時など「出過ぎた戦争支持」に回り本当にキリストの言われた事を守っているのか大いに疑問に思いました。神は血の戦いに明け暮れたダビデの神殿建設計画を拒否されました。そして息子のソロモンにそれを任せられたのですが、このソロモンという名前自体「平和」(ヘブル語シャローム)という意味がありました。戦争ばかり遂行する米国指導者らの考えは神のみこころでないと信じます。
 キリストは当時ローマ帝国の属領であったユダヤで伝道されたわけですが、その時反対するパリサイ人らは、カイザル(皇帝)の肖像のある1デナリ貨をみもとに持って来て、キリストを挑発しました。その時キリストはこう言われました。
 「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)と。
 これが一般にキリストによる「政教分離」のみことばです。
 そもそもキリストがこの世に来られたのは、福音の宣教であり、それによって平和を作り出す事であり、戦争の勧めではありませんでした。
 「悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ」(詩34:14)。
 「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」(マタイ5:9)。