ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

楡周平著『衆愚の時代』を読んで感じた事

 上記の本を図書館で借りて読みました。楡氏の名前はこの本で初めて知りました。慶大大学院を出た後、米国系企業で働いてから作家になった人です。
 1957年生まれとありますから、働き盛りの頃はバブルの時代だったはずです。少なくもその経歴からし中流以上の生活を送った後退職し、作家の道に入ったのでしょう。それまで競争社会で揉まれ、その経験から社会人として心得ておくべき「当然の常識」を持っているとの事です。マスコミなどが空論を並べ、本当の事を言っていないのがよほど腹に据えかね、この本を書いた契機となったようです。
 第一章に「派遣切りは正しい」とあったので、当然私としても身構えて読みました。私はわけあって年金がほとんどないに等しく、職安でどうしても仕事を探さなければならないのに、身体も弱ければ主だった資格もない身ですから、その仕事は皆無に等しく、現在失業中と言えます。弱者貧困者の立場からモノ申して来たので、この章ではいちいちひっかかる箇所が多々ありました。
 派遣労働者は雇用の調節弁、ワークシェアリングは机上の空論、派遣を求めたのは消費者…。企業の立場からする著者の非情な論理展開に、こちらも腹を立て、もう第二章以下は読まずに図書館に返そうと思いました。でも待てよ、これは資本主義体制のもとでの企業のやり方としては当然なのか。私のブログでも紹介したロバート・ライシュの「暴走する資本主義」を読んでも、会社の経営者が消費者と投資家を第一に考えて、そこで働く労働者を代替可能なモノのような存在として扱っている事がよ〜く分かったので、とにかく怒りを抑えて読み進めました。
 そうしたら楡氏は最後の章までけっこう真っ当な事を述べており、いちいち納得出来る箇所が多くなって来て、遂に読み終えてしまったというわけです。
 最後の章で「弱者と言っては失礼ですが、確かに世の中から、人間としての当たり前の行為として、思いやりや、保護を受けてしかるべき人たちがいます。子供、生涯を抱えている方、病人、老人、そして予期しなかった出来事に直面し、困窮生活を送ることを余儀なくされていらっしゃる方々も、その中に入るでしょう。国家が、あるいは社会がそうした方々を思いやり、救いの手を差し伸べる、あるいは再起の機会を設けることがもちろん必要であることに、疑いの余地はありません」と述べているのを読み、ほのぼのとした気分になり、最初に描いた著者の人間像を変えなければならないと思うようになりました。
 衆愚の時代への警告の書として価値があると考えた次第ですが、もう少し時代が進むと、中間層の薄くなった日本でこんな事を言える人はおそらく居なくなるだろうと思いました。
 「まことに、主は公義を愛し、ご自身の聖徒を見捨てられない。彼らは永遠に保たれるが、悪者どもの子孫は断ち切られる」(詩37:28)。
 私はどんなに貧しても、見捨てられない主なる神を信じて、その御力に頼り、新たな道を切り開いてゆこうと思っています。